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[コメント] 海辺の彼女たち(2020/日=ベトナム)

登場人物はほぼ三人のみ。画面構成も徹底している。中盤まですべてのショットに必ず三人が映り込む。この世には彼女たち以外誰も存在しないかのようだ。三人の距離は物理的にも心理的にも近いが、日本社会からは遥かに遠い。“隔絶”、そんな言葉が頭に浮かぶ。
ぽんしゅう

さらに、ある“事実”の発覚で画面構成も転調する。それまで常に三人を捉えていた画面には、一人の女の行動しか映らなくなる。三人から一人へ。彼女は、この世にただひとり、となる。画面の隔絶感は“孤絶”へとさらに孤立感を増す。凄まじい孤立へと彼女を追い込んだ元凶は日本社会、いや私(たち)だ。

祖国を遠く離れた異郷の地の、そのまた果てで、過酷な労働と搾取に甘んじながら命すら賭けなければならない孤立。藤元明緒監督の冷静な演出と、撮影の岸建太朗の客観的な視線が、そんな彼女たちの状況と心情を視覚的に象徴することで浮き彫りにする。映画としての嘘を感じさせずに、技能実習生制度という“まやかし”を、映像として雄弁に綴る二人の真摯さに感じ入る。

為政者は往々にして美辞に包んで本当の問題を隠す。特定地域の基地問題とみせかけて、これは戦争の抑止力なのだから、と脅し半分の理屈で国民の目にさらさないようにしている「日米地位協定」問題。核の平和利用という麗句で、理想と希望(=欲望)を人質にして、エネルギー政策にみせかけてきた、本当は核武装の種を手放したくない者たちの黒い思惑。技能実習制度だって、かつては共栄と称してアジアの土地と労働力の収奪を目指してみたものの、その手はもう使えないので技術移転という“協力”にみせかけた、ていの良い移民問題だ。

だが決定的に違うところがある。基地問題や原発問題は自分たちの繁栄という消費欲を満たすために、自分たちの権利や未来も犠牲にしているという点で自業自得なのだ。一方、外国人の就労問題は自分(日本人)たちの利益を優先しながら、隣人たちの人権や生活を犠牲にしているという意味で、卑怯きわまりないことなのだ。さらに、根底にあるのは可能な限り労働コストを低く保ち、さらに教育・福祉などの社会コストも抑えながら、どこかで大和民族の純血(幻想)を冒されたくない、という差別意識も見え隠れする。

(この国に国籍を有するという意味での)日本人として、私は恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。1993年に技能実習生制度が導入されて、すでに30年近く。日本人はこの問題をあまりにも知らしめていないし、知ろうとしていない。日本人はずるい、と私は思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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