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[コメント] 青春の蹉跌(1974/日)

男の野心、女の打算。その行方を見据える冷徹な姫田真佐久のカメラ。井上堯之の音楽も良い。神代辰巳、非ロマンポルノの前期の傑作。
ぽんしゅう

神代辰巳作品への正しい入門の手引きを書きとめておくことにする。

どうして、そんな余計なお世話をやくのかというと、どうも神代監督を誤解している人が多いように感じるからだ。あるいは、神代辰巳とはいったいどういう映画作家なのか、理解されかねているような気がしてならないからだ。誠に余計なお世話である。

神代監督は、いわゆる巨匠ではないし、まして天才などではない。映画職人でもない。むしろ不器用な異才監督だ。わずかな制作費で、脱ぐことを了承した限られた女優と男優を使って、必ず全裸や性行為の挿入が条件となる日活ロマンポルノという制約のなかでのみ、特異な才能を発揮した監督なのだ。

だから何をおいても、神代を知るためには、まず最初に日活ロマンポルノを観なければ事は始まらない。決して非成人指定の一般映画を先に観てはならない。何故ならその大半は駄作だからだ。まず最初に観るべき入門映画は、次の5作品である。

・『一条さゆり 濡れた欲情』(72)

・『四畳半襖の裏張り』(73)

・『恋人たちは濡れた』 (73)

・『黒薔薇昇天』(75)

・『赫い髪の女』(79)

この中の1本、または全作品を観て、積極的な意味で「なんじゃこれは!」という驚きや感動が享受できれば、それが神代辰巳のすべてである。もし、この「なんじゃこれは!」を消極的な意味で感じてしまったとしたら、あなたはもう他の神代映画は観ない方がよい。先ほども書いたように、神代の一般映画は基本的に駄作であり、この5本を超える作品はないからだ。そこが、限られた範囲でしか異彩を放つことのない、異才の異才たるゆえんである。

積極的「なんじゃこれは!」とは、「女と女の間をふらふらと無軌道に彷徨う、男の哀切と滑稽さ」であったり、「閉ざされた制度のなかを、我武者羅に突き進む女のエネルギーや悲哀」であったり、「止め処ない欲望の大らかな肯定と、性をめぐる人間の行動を慈しむ視線」だ。

この積極的「なんじゃこれは!」を感じた者にのみ、神代の一般映画を観ることが許されるのだ。しかし、それは行けども行けども続くイバラの道である。あの神代はどこへ行ったのだ、きっとどこかにいるはずだと、自虐的信念にさいなまれ続けることになるのだ。

そして、この苦行を乗り越えた者のみに、一般映画のなかにも「なんじゃこれは!」が見え始める。その時、やっと「青春の蹉跌」(74)や「アフリカの光」(75)、「棒の哀しみ」(95)が快作や傑作として目に映り始めるのだ。

〔2009年7月10日、レビュー追記〕

(評価:★5)

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