[コメント] サード(1978/日)
公開当時、主人公たちと同世代だった。その後、劇場で何度となく繰り返し観た。にもかかわず、いくら思い出そうとしても僅かなシーンの断片が記憶に残るだけで、核心がすっぽり抜け落ちた極めて印象の薄い映画だった。今回、見なおしてみたらその理由が分かった。
寺山修司と東陽一が自分たちの郷愁と価値観を「近ごろの若い奴ら」に託して語っているようなあざとさを感じた。
私たちは、いや少なくとも私は、土地を離れたいと望んでいたが新聞部(森下愛子)やテニス部(志方亜紀子)ほど打算的で短絡的ではなかったし、確かに閉塞感のなかで息苦しさを感じてはいたがサード(永島敏行)ほど無感動にものごとに対処していたわけではなかった。
この若者像は前世代が机上で生み出した「理解」するための虚像だ。「近ごろの若い奴ら」を、簡単に分かったつもりになることがいかに傲慢かを、その当時の寺山修司や東陽一の年齢をすでに超えた今の私に、改めて教えてくれる反面教師映画だったのだ。
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