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[コメント] 市民ケーン(1941/米)

ケーンの死後、ニュース映像(風)に仕立てたプロットが延々続くのにまず度肝を抜かれた。以降、そのニュースを否定することが本作の目的となる。事実だと思おうとしていること、すなわちすべての“既成”を覆すためにこの物語(映画)はあるのです、と宣言するのだ。
ぽんしゅう

新聞王ケーンの虚像ではなく実像を探るという物語に託して、オーソン・ウェルズは映画が誕生以来50年余りかけて築いてきた文法をことごとく否定して新たな“語り口”の模索を試みる。それは奇しくも、ときの趨勢だった金融や運輸といった実業ではなく、人の心にダイレクトに作用する新聞という情報産業に次の時代を見出した作中の若きケーンの志にも似ている。

本作は、それまでのハリウッドが確立してきた「分かりやすさ」「楽しさ」「美しさ」を生み出す定型をことごとく避けながら綴られていく。創造することは破壊することだと、新しい「おもしろさ」を強引にでも“見せつける”ために。さぞや当時のハリウッドの先達たちは、この乱暴な若造の狼藉に戸惑ったことだろう。

アカデミー賞の9部門にノミネートされながら脚本賞のみの受賞だったそうだ。モデルにされた新聞王ハーストの妨害のためというのが通説のようだが、当時のハリウッドには、この唐突な破壊者が作った破天荒な映画に、作品賞はもちろん監督や撮影賞を授与する覚悟も度量も、まだなかったのではないだろうか。ちなみに他賞は47歳のジョン・フォード監督によるオーソドックスきわまりない『わが谷は緑なりき』が席捲。 むしろ脚本賞は、富豪の空疎を物語として書き起こした(文字として顕在化させた)ハリウッドの映画屋に対する映画屋たちの、せめてもの矜持の証しだったのでは。レッドパージが始まるのは本作の数年後、1940年代の後半からだ。そんなことを考えた。

余談です。実は今(2021年)の今まで『市民ケーン』を観ていませんでした。だからデヴィッド・フィンチャーの『MANK マンク』を観るのをためらっていたのですが、この2作を同時上映してくれた名画座「下高井戸シネマ」(東京都世田谷区)のおかげで一気観できました。映画好きの心情を酌んだプログラムの見識の高さに敬服とともに感謝。ちなみに『MANK マンク』より『市民ケーン』の方が倍ぐらい客が入っていました。(2021年4月 記)

(評価:★4)

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