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[コメント] 修羅雪姫(1973/日)

敵役が皆チョロイのが最大の難点。暖簾に腕押しみたいな奴らが相手では、生まれながらに復讐を定められた鹿島雪の苦悩は霧散し、梶芽衣子の冷たい艶やかさはカタチだけに終始する。まあ、どこぞの外国人が嬉しがるにはちょうど良いかも知れないが・・・
ぽんしゅう

同じ梶芽衣子主演の『さそり』シリーズで松島ナミがはらむ恨みは、信頼した男に裏切られるという極私的屈辱から生まれ、やがて厭世的な反抗心として「公」に向けられる。敵は世間であり警察組織という体制である。強大で目に見えぬシステムを相手に、虐げられ続けても止まぬナミの闘争に人は負の情念を見出し胸を打つ。

本作の鹿島雪の恨みは、生まれながらにして背負わされ自らはどうすることもできない定めとしての復讐心として描かれる。そして、その刃は原因を生んだ背景ではなくあくまでも行為者である「個人」に向けられる。まあ、それも良かろう。おそらく原作者(篠原とおる小池一雄)の思想の違いだろう。

であるならば、鹿島雪の怨念を映画的に普遍的な負の美しさにまで昇華するためには、敵役はそん所そこらのただの悪者ではすまされないのだ。鹿島雪の逃れることの出来ない苦悩と、梶芽衣子の時代の空気と呼応し冷たく輝く美しさに対峙しうるだけの「悪」に対する何らかの映画的工夫は必至であり、70年代という時代の要請でもあったはずだ。

しかし、藤田敏八は物語を劇画から映画へと再構築し直すという工夫を怠ったがために、本来梶芽衣子が時代を反射して放ちうる情念の哀しさを抽出できず、ことさらうわべの美しさのみ強調されることになってしまった。それも、闘争中の三里塚から馳せ参じた小川プロのドキュメンタリーカメラマン田村正毅の、フットワークの中に様式美をすんなりと取り入れてしまうという非凡な撮影力に助けられてのことではあるが。

赤い鳥逃げた?』に続く藤田敏八の日活外の請負仕事としてはまあ無難な出来ではあり、なるほど後日もの好きな外国人映画監督に発見され嬉々として興奮させる程度には、ちょうど良い見栄えと内容の作品ではある。

(評価:★3)

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