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[コメント] 涙(1956/日)

女の武器が笑顔より涙だった時代の逸品。それにしても、若尾文子!
ぱーこ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







こんなに空が青いのは/ 日暮れの街をひそやかに/ 風が渡っていくからさ

とかいう大衆センチメンタリズム丸出しの歌詞から始まる。 このメロディは、志津子と雄二の逢い引きのシーンでも使われる。 ここだけ取り出せば、おお甘メロドラマだが、どっこいそれだけでは済まない。

工場で作業する若尾文子の後ろから女子工員が声をかける。 「磯田さんが一緒に帰ろうって」 「知らないっ」(←これ、若尾文子) 「いーだ、いいの。私も磯田さん少しは好きなんだから」

雑誌明星平凡の時代。 当時小学校2年生の私は確実にこの空気を体で知っている。 若尾文子演ずる志津子には、監獄に入ってどさ回りをしている父親と 流れ者の兄がいる。志津子が心を寄せている事務員、眉目秀麗な美男子は 農家の次男である。古い堅気の家柄、とても志津子を嫁に迎え入れるわけはない。

志津子はおばさんに世話されて床屋の2階に住んでいる。床屋の親父が 婿養子の東野英治郎。なかなかいい味出している。おばさんは志津子をやっかいばらいしようと寺の息子との縁談を持ちかける。

縁談の席には「釣りに行っている」と相手の男はいない。 よほどの大物でなければ穀潰しにきまっている。 これは型通りの悲恋ものか、と思っていると、 この相手が好人物である。 妹が意に添わぬ見合い結婚をするならぶちこわす、 と流れ者の兄が直談判に行くと、 自殺した志津子の母親の墓を自分の両親の隣に立てるという。 見合いでもいい人はいるんだ。 戦後の開放感がうかがえる展開となる。

それぞれの生活を背負った人物描写は地道だが的確である。 たとえば、床屋の娘が店の入り口で男友達と今見てきた映画の話をしている。 オヤジがいう。「ラブシーンなんてやりやがって」 離れて話しているだけである。 娘「じゃ、さよなら」 男友達「おやじさん、せいが出るねえ」と捨てぜりふ。 オヤジ「まったく最近の十代は」

こういうなんでもないところが実に(私にとっては)いい。 話の流れがまったく自然であざといところがない。

お盆になって迎え火が映る。 カメラゆっくりパンして床屋の奥の居間。 ちゃぶ台で食事のシーン。 志津子が縁談を承諾し坊ちゃん美青年との恋をあきらめるところ。 これがラストの自然な伏線になっている。

ラストは、実家にかえった新婚の志津子夫婦が秋祭りを見るシーン。 道の両側に人々が並んでいる。 その中を天狗の面をつけ鉾を持った男が子どもたちに囲まれている。 その鉾でつつかれると、良運に恵まれるのだ。 群衆の中には志津子の兄と夫婦の約束をした酒場の女も少し離れている。 「つついてもらったら」子宝に恵まれるようにと夫がいう。 (もう、知らない)とまんざらでもない志津子。 そこへ、天狗がやって来て2人の前にじっと立ち止まる。 いぶかしげな表情の2人。 天狗は鉾で志津子、夫の順にちょんちょんとつつき、片手で涙を拭く仕草をする。 わっと両手で顔を覆う志津子。 「どうしたんだ」と顔をのぞき込む夫。 「お父さんなの」 その時振り返った天狗の顔のショットが秀逸。 胸を打つ鮮烈さである。 天狗はまた子どもたちに囲まれて去っていく。

私は2度見たが、わかっていても衝撃的だ。 父親はどさまわりをしていて、祭りの天狗役をやるというのもまったく自然。 娘の幸せを壊すことを畏れて、顔を出せないのである。

それにしても若尾文子。 4畳半に背筋伸ばして座っているだけで、 たまらない存在感である。 縫い物をするときの一連の仕草もきれい。 針をすっと髪にあて鬢油をつけて、布を縫ったあと 糸切り歯でプチっと切る一連の動き。 井戸端、洗濯板で洗濯していて片手で顔をぬぐう仕草。 そういう当たり前の動作が実にいい。

着ているのはスカートに襟のついた白い半袖ブラウス、 あるいは首のところがハイネックになっているワンピース、 腰には細いベルト。 清楚な中に女が匂い立ってくる。 こういう存在が顔をくもらせうなだれて涙にくれるのである。 もう、機嫌がなおるなら、なんでもする!という感じになる。 初めから目が離せなかった。

35mm版は上映時間70分で、セリフがブツブツ切れる。 画面は暗く雨が降っている。 それでも充分堪能した。 すると、16mmの完全版をやるという。 半券を持っていれば無料である。 16mm版、雨は降っていなかったが ハム音のノイズがうるさくピントが甘い。 初めは気になったが、すぐに集中できた。 若尾文子である。

これは当分やめられそうもない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)寒山拾得[*] けにろん[*]

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