若尾好きさんのコメント: 更新順
十代の性典(1953/日) | この映画はとにかく若尾文子の魅力に尽きる。当時の映画評によると、「今後の邦画界を担う逸材」と早くも書かれている。そのくらいこの映画の若尾は躍動的で輝いている。「あーらいやだ、あたしそんな大人ぶったことなんて大嫌い!」という彼女のセリフはピチカート・ファイブも取り入れたほど。 | [投票] | |
妻二人(1967/日) | 岡田茉莉子の役を若尾文子にやってもらいたいと思ったのは若尾ファンとしての贔屓目か?『妻二人』という題だが、実は「妻」なんていう立場を超えた女の情念を見せ付けられる。しかし、いつの時代も男ってやつは・・。 | [投票(1)] | |
秦・始皇帝(1963/日) | 金のかかった映画だなあというのがまず最初の印象。役者も一流ぞろいだが、ストーリーが単調&冗長なので映画としての出来はいまいち。ただ、勝新太郎はとても貫禄があり、その演技には5点を上げたい。 | [投票] | |
瘋癲老人日記(1962/日) | 入浴後の文子たんのおみ足にすがり付く瘋癲老人山村聡。それを情なく蹴り倒す小悪魔文子、「ああ、きたならしいっ」。舐めじじいめげずにペロペロペロペロ。もっときたないって言ってくれ子猫ちゃん!バブー!さあ、明るい老後に向けて Let's 瘋癲老人! | [投票(1)] | |
涙(1956/日) | 「ただのメロドラマじゃん」ってなめてかかると・・・ [review] | [投票(1)] | |
濡れた二人(1968/日) | この映画の北大路欣也、どう観ても日本人じゃない。いや、人間ですらない。こんな野獣のいるところへフェロモンたっぷりの若尾文子を放り込む増村って、餓えたライオンに肉をやる猛獣使いよりタチが悪いゾ。 | [投票(1)] | |
最高殊勲夫人(1959/日) | まずオープニングのタイトルバックからしてModern! 演出もSpeedyかつCool! コメディタッチだが、実は「女性上位時代」が来ることを世の男たちに警告する啓蒙映画(苦笑)。セーター着たぽっちゃり文子に5点。 | [投票] | |
ブリキの太鼓(1979/独=仏=ポーランド=ユーゴスラビア) | 極右の台頭&人種差別の問題をドイツという「一国家の問題」に局限化するという愚考を撃つべく、さぁもっと太鼓を叩け、我らがオスカルよ! 真の敵はかつて顕在化した「ドイツ帝国」なのではなく、今もなお日常に巣喰う見えない「ファシズム」なのだから。 | [投票(1)] | |
美貌に罪あり(1959/日) | はいお客様、本日のフルコースは、しっとり「富士子」に、奔放「若尾」、デザートは清楚な「野添」となっております。・・・といった感じの大変欲張りな映画。でも、「白ドレス&スッチー文子」が観れるだけで余は満足じゃ。 | [投票(1)] | |
越前竹人形(1963/日) | 臭いたつような色気とは、この映画の若尾文子のことをいうのだろう。喜助どんが切る竹細工の「ギコギコ」いう音が耳に焼きついて離れない。色んな意味で興奮して、これを観た夜は眠れなかった。 | [投票(2)] | |
積木の箱(1968/日) | この映画の真の主役は松尾嘉代。梓英子との掛け合いで迫真の演技をみせる。しかし、(割烹着着せて地味にしてみても)若尾文子と牛乳屋が釣り合ってないなぁ。意地で若尾なんだね、増村君は。だから好きよ。 | [投票(3)] | |
「女の小箱」より 夫が見た(1964/日) | 問題:(田宮二郎+岸田今日子+若尾文子)×増村保造= [review] | [投票(5)] | |
不信のとき(1968/日) | "WHAT GAME SHALL WE PLAY TODAY" (by Chick Corea) [review] | [投票(3)] | |
眠狂四郎勝負(1964/日) | いるよ! ここだあ!! [review] | [投票(10)] | |
世にも怪奇な物語(1967/仏=伊) | ポーの物語をなぞっただけのバディムとルイ・マルは2点。一人、フェリーニのみがポーの狂気を映画の中で表現することに成功する。「文芸的な、余りに文芸的な」2監督の作品と違い、フェリーニ作品において文学は映画という恒星の周り回る惑星になる。 | [投票(3)] | |
エル(1952/メキシコ) | 悩むな、狂え、甦れ! 狂気や苦悩を「映画」の中で昇華させるのは並大抵のことではない。スクリーンから溢れ出るその創造エネルギー。フェティシズムの帝王ブニュエルの変態性とバイタリティーに今日も乾杯! | [投票(2)] | |
眠狂四郎女妖剣(1964/日) | バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2・・・。 [review] | [投票(5)] | |
夢の涯てまでも(1991/日=豪=独=米=仏) | スケールだけは大きいが、悲しいかな映画がそれを全く消化し切れていない。ヴェンダース、オマエは小津安二郎から何を学んだんだ! 特別出演してくれた笠智衆に謝りなさい! 水滴にだって世界は写る。それを撮ったのが小津じゃないか・・・。 | [投票(2)] | |
存在の耐えられない軽さ(1988/米) | (青年でない者の)青年の主張:「映画とイデオロギーについて」 [review] | [投票(14)] | |
カッコーの巣の上で(1975/米) | 問題児ニコルソンが「祭りの後」でする、クールかつ満足気な表情に震えた。この映画のいう「自由」とは、このシーンのことをいうのではないか? なぜなら、人は「管理」を脱した新鮮な空気をそこに感じる時、彼のように微笑するものだからだ。 | [投票(3)] |