[コメント] モーターサイクル・ダイアリーズ(2004/米=独=英=アルゼンチン)
見る者にとって、作品それ自体がすでに「旅」である。文句なしの5点だが、個人的には『セントラル・ステーション』により胸打たれる。その理由→
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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彼らは若い。 そして私はもう若くない。それがズルい。
バルテル・サレスの前作、『セントラル・ステーション』の主人公ドーラはそもそも最低の女だった。しかも若くない。道連れのジョズエは若いが、まだ小便臭い「ガキ」だった。
それに比べ、本作の二人は最初っから善人で、「冒険」するだけの余裕のあるインテリだ。移民労働者やクスコの人々に比べ医学生という身分がいかに裕福であるかは容易に知れる。ここで二つの旅には決定的な違いが生まれる。ドーラの旅が疲れて擦り切れてしまった人生を洗い直す旅だったのに対し、エルネストの旅は愛に育まれた青年が今まさに自分の人生を歩き出そうとする旅だ。
彼らは若く、前向きだ。真摯だし、情熱的で希望に燃えている。 そしてそれは、私にとっては過去の物語なのだ。 ドーラの旅した空の下ならば、私の疲れ切った魂もまだ救われるかもしれなくとも、エルネストの旅は、私にはただ見守ることしかできないものなのだ。
それがズルい。
多くの「私たち」はエルネストに銃を手渡す父親を演じている。他人を疑うことを知っていて、それに対処する術も持っている。だけど決定的に足りないモノがある。それが何かを、この作品はただ二人の旅を描くことで伝えている。劇場を後にして、私は遠い南米の空を想うのではなく、ただ雑踏の中で若者たちの背中を見やっていたんだよ。
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