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[コメント] 愛を乞うひと(1998/日)

私にできる“復讐”ってなんだろう?と考られたので、原作ほどリアリティが感じられなかったという不満はあるが、5点。2001.9.16 (→review相当長いです。)
ハイズ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







先に原作を読んだ。何気なく家に普通にガラクタに紛れて置いてあって、手にとって、日本アカデミー賞らしいし、読んでから映画を観てみようというつもりで読んでみた。凄かった。文章でこんなにありありと光景が思い浮かんで、目を背けたくなるけれど、読み進める限りは背けられないのだというほどのリアリティが感じられた本は、これが初めて。

そして、途中で気付いた。この母は、やっていることは違うけど、私の父と同じに見えた。

虐待でしか現せない愛情。

精神異常だったのではないか、幼少期に何かあったのではないかという推測。

私の父に対しての私の考えと共通するものがそこにはある。

それから映画の中では“仕返し”という言葉を使っていたが、原作の中で使われていた“復讐”ということを考えた。ここでは、捨てられたお父さんのお骨を探して母に見せつけること、それが“復讐”だった。

しかし、私には何ができるのか?今、復讐せねばならない時のような気がするので、強くこの作品に共感し、問題提起をしてくれた、思い入れの強い作品になりそうだ。

あとがきに、こう書かれていた。「アメリカに多く見られる幼児虐待をテーマにした小説は、殆どがその原因を社会にしているが、これは違う。主人公は虐待されても、愛して欲しいと願う、その切ない感情。」

血縁に関して。観念的なものでしかない、という考えが書かれていた。血が繋がっていても、優しい人もいれば、酷い仕打ちをする人もいる。血が繋がっているから優しいのか、血が繋がっているから心配したりするのか、私も疑問に感じた。ただ、生まれた時からずっと一緒にいる、同じ家に住んでいるということから、そのような気持ちは生まれるもんなんじゃないのか、と思えてきた。血が繋がっていなくても、心が通じ合う人がいるように、血が繋がっていても、どこまで行っても平行線のままの関係だってあるのだし。

*****

映画に関して言えば、私には重要と思われるところが、けっこう省かれていて、脚色されているところもあった。監督の意向なんだろうが、主人公は、もっと、高校を出てすぐ働き出した会社で、旅先で、役所で、さまざまな人に愛を感じられていた。

それに、お骨を探すのにそんなに苦労が感じられなかった。時間の制約もあるんだとは思うけど。原作ではそもそもの始まりから誤解していたということや、娘とではなく一人で台湾に行って言葉がわからない不安とか。

特殊メイクって、あれか。なるほどねと思った。

台湾のシーン、田舎の人は台湾語を話していて(台湾語しか話せないのか?)、都会の人は北京語を話せていたのが、面白かった。今は北京語が公用語なんかよく知らないが。

あと、これはけっこう重要であるのだが、虐待のシーン、思っていたより凄くなかった。なんでだろう。原作のイメージが凄すぎたからかもしれない。だから、観る前は、凄すぎてもう2度と観られないような映画なんだろうなと思ってたけど、その思いは裏切られた。

ラストは、映画の方には、希望が感じられた。母に会いに行って、床屋を出て歩いていくシーン、母は娘の歩いていく背中をいつまでも眺めていた。そう、母はあんなに虐待しても、娘を愛していたのだ。そこにまた、初めの回想シーンが出てきて、家を出て行く夫と娘に、石を投げつけながら、「台湾でもどこへでもいっちまえー。死んじまえー。」と叫んでいたあとに、「あんたがいなくちゃやってけないよ。あたしひとりでどうしたらいいの。」と泣き崩れていた母。

原作では、、、母親には会わず(遠くから見るだけ)、ずっとその子供を虐待する気持ちをわかろう、母を許そうとしていたけど、そんな気持ちなんか分からなくていいんだ、で終わっていた。原作者は、ホントにそういう考えなのかは分からないが。私にもこれは、わからない。ただ、監督の解釈では、本当は愛していたのだということは感じられた。

あと、思いつく限りで原作と違ったところは、原作では弟は子供の頃は万引きなんかするような子ではなく、大人しくて、「今」詐欺で捕まったのが信じられないくらいだったのに、映画では子供の頃にも万引きしていたということ。和知のお父さんは傷痍軍人ではなく、公務員で収入もよく、和知となってからは母親は夜の仕事を辞めたということ。似たシーンはあったが、「私」を裸にしての虐待もあったということ。映画には重要と思われる学校のシーンが少なかったこと。映画で、「今」会いに行った母は映画では結婚していたけど、原作では結婚していなかったこと。原作では、結婚しておらず、一人暮らしだったのだが、そのことに、「私」を本当は愛してくれていたということを作者は感じさせたかったのかもしれない、と今思えた。そうだとすると、作者はすごくイヂワル!

そうそう、西田尚美はどこに出てたのか分からなかった。最後のクレジットで気付いた!顔とかけっこう好き。

(評価:★5)

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