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[コメント] プロメテウス(2012/米)

禁断の果実は、甘くない。
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







★本レビューでは『エイリアン』シリーズのストーリー核心部分にも触れています。未見の方はご注意ください。

地球外生命体との遭遇とその恐怖を描いた『エイリアン』。その監督による前日譚は、人類誕生の秘密を題材にした二部作のエピック・ムービー。前編にあたる本作『プロメテウス』を観る限り、どうやら人類は、創造主たるエンジニア(スペース・ジョッキー)によって地球に誕生させられ、生物兵器(ゼノモーフ。以下、エイリアン)の苗床となるべく、彼らの基地(または実験場の)LV223 に導かれたようだ…

リドリー・スコット監督は1979年に『エイリアン』を撮影した際、主人公のリプリーがエイリアンに連れさられるエンディングを考えていたという。そのアイディアは20世紀Foxの経営陣に却下されてお蔵入りとなってしまったが、もしその《幻のエンディング》で作られていたら、当然その続編は《ゼノモーフの探索》がテーマとなっていたことだろう。本作『プロメテウス』では、各地の古代遺跡に残された星図のサインを手掛かりに、主人公の考古学者エリザベス・ショウが未知の惑星へと向かうという《探索》ストーリーが主題になっていて、『エイリアン』から33年を経て、監督の当初のビジョンが映像化されたものと言える(ただし、本作だけでは冒頭シーンの《謎》は解けない)。

さて、本作を観て思ったのは配役のアンバランスさ。監督は当初、シャーリーズ・セロンを主人公にする予定で製作を進めていたものの、セロンのスケジュールが一旦合わなくなり、仕方なく『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』のノオミ・ラパスを抜擢したのだという。ラパスは若い頃のジュリエット・ビノシュを彷彿とさせる魅力的な女優だとは思うけれど、《人類の起源》の謎に迫るヒロインの役を担うにはオーラが欠けていたと思う。特に本作では《エイリアンの起源》までで話が終わってしまうので、主人公エリザベスの描写が弱いと、わざわざエイリアンの苗床となるために出向いたお人好し達という残念な印象を観客に与えることになるかもしれない。そもそも、エリザベスは考古学者なのだから、地球文明とは異なる存在とコンタクトするにあたり、最初から《生け贄》の概念はまず念頭になければいけないだろう。しかし、映画の中盤までエリザベスは自分達が《生け贄》であることに気がつかず、同僚のホロウェイ博士の死までは単なる傍観者でしかない。もし、セロンが主人公を演じていたら、『エイリアン』のリプリーとはまた違った《強い女性像》を見せてくれたんじゃなかろうか? で、ヒロインの代わりに本作で活躍していたのは、スマートなアンドロイド(マイケル・ファスベンダー)だ。『エイリアン』とは異なり、本作では最初から観客にデヴィッドが万能アンドロイドとして明示されている。普通に考えれば、異星のエンジニアとのファースト・コンタクトには《エンジニア語の読解》や《太陽系儀の操作》といった困難を擁する問題が山のように横たわっているはずだが、そうした難問をアンドロイドの彼はいとも易々と解決してしまうので、観客はそうした謎解きを楽しむ間もなく、淡々と豪華な映像を「スマート」に与えられるだけなのだ。ここで例えば、セロン演じるウェイランド社の探査プロジェクト責任者、メレディス・ヴィッカーズがデヴィッドの行動をもっと阻止しようと画策するシーンでもあれば、デイヴィッドの逸脱的な行動の意図もより明確になり、物語に大きな緊張感とダイナミクスが生まれたと思われるのだが、結局、彼女は宇宙船の下敷きになってあっさりと死んでしまう(…と思わせておいて、次回作『パラダイス』では、エリザベスが《人類の起源》の謎を解く手掛かりを与えるために、クローンか何かの姿で再登場するかもしれないけれども)。受け身の主人公に加えて、雇い主たるヴィッカーズ側の真意は不明確、アンドロイドの動機(=命令)も曖昧なままだ。映像は間違いなくゴージャスなのだが、ドラマとして釈然としないのは、主人公のキャラクターが立っていない上に、こうした主要キャラクターであるヴィッカーズ達の行動の意図が説明されていないからだと思う。また、百歩譲って本作を「謎だらけのアンドロイドが主人公の映画」だと考えてみても、やはり不完全燃焼な感は否めない。『アラビアのロレンス』を手本に人間の心理や行動パターンを学習するアンドロイドという設定は、観客に「自由気侭なアンドロイドの夢は叶わないだろう」という結末を想像させてしまい、意外性もない。

なお、『エイリアン』シリーズの約束事でもある《宿主への寄生》に関しては、エリザベスが MedPod 720i を操作して自力で中絶手術するシーンが、シリーズ中で最も強烈な映像かつ冷徹な目線で描かれていた。これは進化論と並ぶ人類誕生のもう一つの物語(キリスト教。カトリックやプロテスタント福音派は堕胎を禁じている)に対する監督の一種の意思表明のようにも感じられた(彼は英国国教会の洗礼を受けているようだが、74歳の今、信仰そのものには興味がなさそうだ。少なくとも本作では、エリザベスが握りしめる十字架は単なる“父”の象徴であり、デイヴィッドが彼女のバックグラウンドを分析するアイテム以上のものとしては描かれていないように見える)が、しかし、このエリザベスの自力中絶シーンは本当に必要だっただろうか? 『エイリアン3』のリプリーに対するレスポンスとも考えられるし、クライマックスに向けて見せ場を作る必要があったとはいえ、ビジュアリストらしい映像ありきのプロットに感じられた。

いずれにしても、すでにアナウンスされている次回作の『パラダイス』を観ないことにはどうも釈然としない内容だった。劇中で『アラビアのロレンス』かぶれのデヴィッドがホロウェイに言う「創造主にもそう言われたら残念ではありませんか?(Can you imagine how disappointing it would be for you to hear the same thing from your creator?)」という英国的な皮肉は、そのまま監督に「観客もこの映画の創造主にそう言われているようで残念だよ」とお返ししたい。

神が人類に与えた智慧の火種はあまりにも熱く、禁断の果実は甘くない。それでも人は、核エネルギーや快楽のない生活には戻れないだろう。生きるということは、すなわち麻痺していくということだ。この映画で描かれているアンドロイドのスマートさや、テラフォーミングの技術に、我々がやがて依存せざるを得ないように…

8/20:リドリー・スコット監督の弟で、"TOP GUN 2"と"Emma's War"を製作準備中だったトニー・スコット監督がLAの橋から飛び降り自殺との報道。兄の最新作である本作『プロメテウス』冒頭の転落シーンとも被るその死に様。果たしてそれは《創造主に対する冒涜》を描く兄へのプロテストなのか、あるいは…(※)。ご冥福をお祈りします。

※キリスト教では、自殺をした者は天国(パラダイス)の門をくぐることができない。兄リドリーは、本作の公開時に『プロメテウス』の次回作のタイトルは『パラダイス』とすること、そして「天国は、我々が思っているほど素晴らしいところではないと思う」と述べている。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)おーい粗茶[*] DSCH[*] たわば カルヤ[*] 代参の男[*]

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