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[コメント] ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019/米)

Who Is the Monster?
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







(本レビューは初代ゴジラおよびゴジラvsビオランテの内容に触れています。未見の方はご注意ください)

2011年3月12日のことだ。前日の海底地震がもたらした津波によって全電源を喪失した福島第一原子力発電所の原子炉が溶け落ち、1号機の建屋が水素爆発で吹っ飛んで放射能が世界に撒き散らされたあの瞬間の映像をTVで見つめていた時、ああこれは「神をも恐れぬ力」を軽んじていた僕らに天罰が下ったにちがいない、と憂鬱な気持ちになったことを覚えている。

1945年8月の二発の原子力爆弾投下と1954年3月1日のビキニ環礁の第五福竜丸被爆で、犠牲者(被爆者)の側に立っていたはずの僕ら日本人は、敗戦後の気持ちの整理もつかぬまま、所得倍増計画を推進するためのエネルギー政策の旗の名のもとに、歴史的には冷戦時代の極東アジアにおける前線基地・生産拠点となるべくして、なし崩し的な工業化と科学技術偏重の路線を推進していった。そして、はやくも1963年には、東海村で国内初となる原子炉の臨界試験に成功して「神をも恐れぬ力」を手に入れたのだった。それから半世紀が経ち、国内に原子力発電所は続々と作られたが、バブル経済の崩壊で日本の成長は終わり、高度経済成長期の科学技術の花形であった原発も老朽化し、廃炉すべき時期になっても使いまわしていたところに、あの津波が来たのだった。

さて、昭和の初代『ゴジラ』(1954)では、「神をも恐れぬ力=水爆」によって棲家を追われ東京を蹂躙するゴジラに対する兵器として、芹沢の発見した「神をも恐れぬ力=オキシジェン・デストロイヤー」が苦渋の決断のもと使用された。ゴジラは米国の水爆実験による環境破壊の犠牲者なのだが、巨大台風のような自然の脅威=破壊者として描かれ、あくまでも核兵器やオキシジェン・デストロイヤーを生み出す人類そのものが真の脅威であることがしっかりと示されており、名作となった。あるいは平成の『ゴジラvsビオランテ』(1989)では、白神の「神をも恐れぬ力= 遺伝子工学(抗核バクテリア )」がビオランテを生み出し、その技術は外国から狙われることとなったが、ここでも科学技術が新たな脅威をもたらすという懸念だけは少なくとも劇中で語られていた。ゴジラは怪獣プロレス映画になっていったとよく言われるが、「神をも恐れぬ力=科学技術」こそが戦後日本の経済成長を支える根幹だったし、復興後の生活の変化もあって娯楽色の強いものがより求められるなかで、自己否定的なスタンスで何作も撮り続けていくことは難しかったに違いない(もちろん、『ゴジラ対ヘドラ』や前述の『ゴジラvsビオランテ』のような例外もあるが)。

そして、レジェンダリーが手がけたゴジラ二作目となる本作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』はどうだったか。 予算が潤沢がゆえに映像には力が入っていたが、初代ゴジラの魂をズタズタに切り刻むような描写の羅列には唖然とさせられた。まず、本作のオキシジェン・デストロイヤーは、これまでのハリウッド映画が加害者の能天気な立場から核兵器を〈勝利のための武器〉として描いてきたのと同じ目線で描かれており、初代『ゴジラ』のような葛藤は皆無だ。それならば名前の異なる他の武器でよかったではないか。そもそも、原爆投下の8時15分で止まったままの時計を大事にしているような芹沢が、米国の水爆を肯定するばかりか、特攻よろしくそれを起爆してゴジラに核エネルギーを充填するなど心情的に有り得ないだろう。また、中国資本が入って『モスラ』の新美人がチャン・ツィイーになったことはともかく、環境テロリスト一味がモナークの基地やシステムをたやすく制圧・利用できたり、モナークの空中での移動速度が早すぎることなどには少なからず違和感を覚えた。ヴェラ・ファーミガ演じる女科学者が巨大生物による環境浄化を正当化するロジックも(息子を失ったとはいえ)あまりに公私混同すぎて破綻していたように思う。そんなロジックに一体どれぐらいの人が賛同するというのか? 大事なものを破壊されたら、それを破壊した者へまず矛先が向くのが普通の感覚だ。そうではないマッド・サイエンティストを描くつもりならば、徹底してそう描くべきだった。それならば「ママこそ、モンスターだ」(=神をも恐れぬ者だ)という娘の台詞ももっと映えたに違いないが、本作はその逆で母親はあっさり宗旨変えしてしまう。怪獣同士のバトルの際に親子の月並みな家族ドラマが細切れに挿入され、観客の意識が怪獣から都度引き離されるのは非常に残念だった。予告篇がそうであったように、巨大怪獣の威容や美しさを存分に見せる方向にもっと振り切るか、「神をも恐れぬ者」が怪獣を最後まで制御して環境浄化の瀬戸際に世界を追い込むまでやるかすれば、鑑賞後の印象や評価は全く異なっていただろうと思う。

(評価:★1)

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