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[コメント] シンデレラマン(2005/米)

ボクシングに描かれるのはモーションか、エモーションか。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「シンデレラマン」を観たその日。私はどこかしらハッピーな気分になれないながらも、それなりに満足するという所謂「微妙」な状態だったのですが、その日の英会話の授業の雑談で先生に本作のメッセージは?と聞かれた時、私は困った。何に困ったかと言うと、こういった作品では普通メッセージがあるものなのだけど、ぱっと思いつかなかったからだ。 困った挙句、「それは難しい質問だ。」「敢えて言うなら、ネバーギブアップかもしれないし、家族の大切さかもしれないし、挫折者にセカンドチャンスを!と言った社会的メッセージかもしれない・・・。 シービスケットに似てるかな・・・。いや、違うかな・・・。」

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本作と舞台設定の似た『シービスケット』では大不況前の豊かな状況から描かれていたが、本作は貧しさありきでそこにいたる描写がなかった。 振り返って考えると、描かれるのは「貧しさ」とそれぞれの取り得る「行動」のオプションばかりで、実のところ、人の「感情」まではあまり演出されていなかったように思う。

その傾向は主人公一家に強く出ている。ブルドックの怪我により極貧となった一家。ブルドックは靴墨で手のギブスを塗りカモフラージュしながら(ほとんど片手で)港の仕事を行うが、思うように職にありつけない。そんな中、息子は万引きをしてしまう。ブルドックは息子を店に連れて行きそれを返却させる。そこで息子を強く叱責することはせずに、逆に「家族を決して離れ離れにしない」と誓う。 この言葉は本作の核になっていると思われるのだが、後の展開はそこまでの重みを感じさせない。 いよいよ電気もガスも止められたところで、プライドをかなぐり捨てて、救済センターや嘗ての同僚に援助を請う訳だが、その描写も淡々と描かれていたように思う。

また、ブルドックが夫婦喧嘩の仲裁に入ったことで不仲になった友人(港の仕事仲間)が居たが、彼は後にパブのTVで目にしたブルドッグの活躍に素に喜びはするものの、『怒りの葡萄』よろしく運動家となり「時代」に吸い込まれた(やはり行動だけで感情は描かれない)。彼の最期となった、ドラマチックに演出されることのない2人の再会はそれを象徴しているだろう。家具をほとんど売り払いながらも虚勢を張るマネージャの描写もしかりである。 この時代、そういう人が多く存在したと言う事実を登場人物に照らしているかのようである。

また、ボクシング映画としてみると、本作は「ロマン」を描いた映画でもなく(『ロッキー』)、「孤独」を描いた映画でもなく(『レイジングブル』)、「人生」を描いた映画でもない(『ALI』)。一人のボクサーとその家族を通した「時代」を描いた映画なのである。 更に、ロードワークやスパーリングなどの積み立ての描写がほとんど皆無で、港での片手の重労働が今の重いパンチに結びついたという文字通り「血と汗の結晶」的エピソードですらも驚くほどあっさりと流したのも、ブラドックの試合こそが人々(時代)に勇気(活力)を与えたと言う意味で重要だったからなのだろう。 言い換えると、十分に金を得てからもブラドックが勝負し続けたように、「家族を守る」と言う当初の目的ですらも時代に吸い込まれていたようだ。

結果的に、ボクシングの動き(モーション)の描写が素晴らしいにもかかわらず、そこに感情(エモーション)があまり描かれていなかったのが、レビュー冒頭で記した「微妙」な気持ちになったのだろう。

役者の演技では、マネージャ役のポール・ジアマッティが良かった。もともと曲者役者なので好人物を演じると哀愁が漂ってきて良いですね。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)リア[*] ガリガリ博士

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