[コメント] エレファントマン(1980/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「普通に話せると、人に知られることが怖かった。」
自分が人間であることを否定するかのようなこの一言は重い。重すぎる。化け物が聖書を諳んじる・・・、ジョンはこれ以上見世物にされることに耐えられなかったのだろう。
追い詰められたジョンの見世物小屋の表情、一切の感情を放棄した物質的な表情に、私は恐怖を覚えた。 何故、ジョンがこの世に存在しているのか? 何故、息をしているのか? 見物人の中にはそんな冷酷な表情も伺えた。
しかし、ジョンは不幸から逃れる為に死を選ぶことは決してなかった。ジョンが強かったからだろうか? 私は違うと思う。 幸福をつゆ知らず、不幸と共に生きてきたジョンにとって、現状の不幸はもはや逃れるほど苦ではなかったのだろう。
では、何のためにジョンは生きていたのだろうか? ジョンの見物客同様、私もこの疑問にぶち当たってしまう。
博士らに人間として扱われれば扱われるほど、一方では見世物として世に知れわたるジョン。そして、人間を自覚すればするほど、困難に直面するジョン。 博士が人間としてジョンに接したことは、果たしてよかったのだろうか? 不幸の奥底をより深めただけではないだろうか?
ラストで、生まれてはじめて幸福に巡り合ったジョンは、壁の絵の少女のようにベッドに横になる。奇形の彼にとってそれは死を意味する。 ようやく死んでもよい時が来た。幸福のまま死にたい。そんなジョンの気持ちの表れか? 最初、私はそう思った。
しかし、再見して、本作、特にこのように思わせるジョンのラストは、(見せ掛けの)幸福を絶対とした人間のエゴ、つまり、幸福こそが見世物だ、と訴えかけているようにも感じた。
ジョンの生死に幸も不幸も関わりなく、起きていることに疲れて、ただ横になりたかっただけなのかもしれない。
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