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[コメント] ストレイト・ストーリー(1999/米=仏=英)

リンチ風味のイソップ物語。レビューは小枝と自転車のエピソードについて。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







兄弟の和解を描いた本作。以下、余談を交えながら、長いコメントをまたまた書いてしまいました。お暇な時にでも読んでいただけると嬉しいです。

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<<小枝の束>>

まず感心したのは、家出少女に諭した「小枝の束」。

日本人なら毛利元就とその3人の息子(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)に対する「三本の矢」のエピソードを思い浮かべる人も多いでしょう。彼らほど優秀な兄弟は古今東西存在しないと言われるぐらい大そうな兄弟に向けて、尚、元就がこのような訓戒を与えたことは一層を深みを与えています。

男3人兄弟の私は、小さな町工場を営む親父に、「将来3人協力して後を継いでほしい」などと叶わぬ夢物語を、偉大なる「三本の矢」に例えて、物心ついた頃から繰り返し言われ続けてきました。結果として、東京に出て知恵をつけた私は、「矢は束ねるものじゃない、(それぞれの人生に向け)射放つものなんだ!」と嘯く(うそぶく)ようになり、現在に落ち着いた?わけですが、私にとってこの挿話ほど、いいイメージのない挿話はない。

こんなわけで、本作の親父さんが家出少女にこれと似た挿話を話し始めたときには、「ゲゲっ」と引いてしまったのですが、そこはさすがリンチ監督です。 翌朝、少女が残していったものは、三本どころか「十本以上」もある「不揃い」の小枝。結び目は「一箇所」のみ。決して力強くはないが、確かに「兄弟は結ばれている」 そんな表現にただ感心してしまった。

ところで、枝を束ねる挿話は、毛利元就の時代よりも随分と早い、イソップ物語(イソップは紀元前600年ごろに実在したと言われている)で既に描かれていることから、普通に考えると、リンチ監督は毛利元就や黒澤の『』からヒントを得たと言うより「イソップ物語」を引用したように思われる。これは、個人的にかなり嬉しい(泣ける)設定である。

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<<自転車ロードレース>

道中、何台もの自転車が親父さんを追い越していく。彼らは力漲る(みなぎる)若者世代。大会の詳細が定かでないが、選手のユニフォームと休憩所(ゴール地点?)などの雰囲気からすると市民大会レベルと思われる。つまり、彼らが走行に掛ける時間と距離は、親父さんよりも圧倒的に短いに違いない。何台もの自転車が通過し、後で合流するこのエピソードは、両者の時間の流れの違いを巧みに演出していたと思う。更に言うと、このランドモーアー(芝刈り機;最近覚えた英単語)と自転車の設定も、イソップ物語の「ウサギとカメ」を基にしていると思う。

親父さんが若者に言った「老人になってから一番つらいのは、若い頃の記憶があることだ」との言葉は重い。ろくな(“ろくに”のほうかな?)記憶がないのもつらいし、あってもつらい、とは・・・。 

よーし、爺になってもマラソン大会で走り続けてやるぞ!!

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<<リンチ監督作品の中の本作>>

リンチ監督の他作と比較すると、異色との印象を受ける本作。特長は映像よりも、老人の言葉に重点を置いていた点だろう。親父さんが語る一つ一つの物語は映像に溢れている。特に娘(シシー・スペイセク)が子供と別れて現在に至った話や、戦場の体験談は、老人の話しを聞きながら、全ての画を色鮮やかに、そして感情豊かに連想させる。この辺りは流石である。このような質実とした作風は、老人の頑固な挑戦に「しぶといスタミナ」を与えていたようにも思える。

(評価:★4)

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