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[コメント] フィールド・オブ・ドリームス(1989/米)

隣で遊ぶ幼い息子に最後の涙目は見られたくなかった。
sawa:38

夢を手放した父、人生の転換点で何もしなかった父。そんな父に反発した息子。

そんな息子が若き父と対面する。若い父は自分の夢を実現すること「だけ」に邁進している。恐らく人生で最も輝いていた時期なのだろう。

人は誰でも夢に向かって歩いていく権利を持っている。だが、多くの者は挫折し、諦め、少しずつ夢を削って大人になっていく。こんな考え方は敗北主義なのかな?その敗北主義を実の息子に否定されたとしたら・・・辛い。

否定され続けた父の立場でこの作品を見る。夢を途中で諦めたのには訳があるだろう。才能がなかったのかもしれないし、もしかしたら家庭を持った責任から「冒険」を出来なかったのかもしれない。

私の好きな曲にチューリップの『青春の影』という曲がある。

・・・自分の大きな夢を追うことが、今までの僕の仕事だったけど、    君を幸せにする、それこそが、これからの僕の生きる標。・・・

愛すべき家族が、個人としての夢の妨げになるのなら、私たちはどうするべきなのか?夢を実現できた成功者たちは、実現出来るかどうか分からない賭けに打ち勝った者たちだ。多くの者は家族を賭けの担保にする事を恐れ、夢を諦める。

ラストのキャッチボールのシーンで私は涙目になった。否定され続けた父の立場で涙し、否定し続けた息子の立場で涙した。両方の立場でモノを見る事が出来る年齢になった。

ただ、隣で遊ぶ幼い息子にだけは最後の涙目は見られたくなかった。当然、映画が理解出来る年齢ではないが、将来、私を否定する側になるであろう幼い息子に、夢を捨てた敗北主義者だと否定されたくないからね。

ただ、ひとつだけは息子に言っておきたい。否、言わずに胸にしまっておこう。「幼い君をみていたら、もう人生を賭けるような冒険なんか出来ないよ。」

嗚呼、私はやっぱり敗北主義者だ。でも、もう2・3年もしたら息子もキャッチボールが出来る年齢になるだろう。その時まではもうひとがんばりしてみよう。

(評価:★5)

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