[コメント] 破戒(1962/日)
原作の主人公・丑松の名をとり「丑松思想」という言葉まで暗躍する世界。本作に本気でコメントするなら社会的に抹殺される覚悟まで必要なのか?・・・・最近の京都市役所に絡む問題も風化させるのだろうか・・
「被差別部落問題」知っている人は知っている。知らない人には「いったい何の事やら・・・」
全国でもその地域によっては全く知識が無いという地域が少なくない。この現状は大変な成果であると思う。
つまり、地域によってはこの問題は意図的に風化されたのだ。まさしく丑松が望んでいた状況が出来つつあるのだ。
だが、まだ多くの地域では潜在化した、いや顕在化した問題が起きてもいる。数年前、同和問題・解放運動での過剰な吊るし上げとでも言うべき「糾弾」がニュースにもなった。
被害者たちが団結し、加害者(無理解者)を逆に暴力で糾弾していくという構図に心底怯えたものである。
彼等は素性を隠し続けた丑松の姿勢を批判する。「丑松思想」という言葉は敗北主義であるかのように批判する。確かに現代の日本では正論であるように思う。逃げず、隠れずに正面きって立ち上がる勇気は正論である。
対して「寝た子を起こすな」という意見もある。そっとしておいて風化するのを待つという意見である。
問題の根っこは深く、日本近代史の中の最大のタブーとして結論はなかなか出ないだろう。私にもどちらの方法が良いのか分からない。分からないが、現状は風化しつつあるという点で丑松が望んだ世界は拡がってきている。
丑松は敗北したのだろうか、私は疑問を持つ。丑松が生徒の前で土下座したのは、生徒に対してではなく、父からの戒めを破った自身への責めと、それ故の自己崩壊だったのだと信じたい。そして生まれ変わる為の一種の儀式だったのだと信じたい。
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