[コメント] 四十七人の刺客(1994/日)
「忠臣蔵」をテロと位置づけるスタンスには共鳴する。高倉健を起用した事も容認したい。ならば何故、このような作品になってしまうのか?東宝ではなく、東映が総力とジョークを駆使して作り上げるべき作品だったのではないか?
現代の冷静かつ客観的な視点に立てば、この事件はテロである。標的を吉良上野介に限定せずに徳川幕藩体制批判にまで拡げた視点は、本作に始まったことではないが現代の「忠臣蔵」にとっては欠かせぬ視点になっている。
大石による謀略戦。これは良かった。そしてこれまでの忠臣蔵では、吉良の「首をとる」と言っていたところを本作では「殺す」と直接的な言い回しに変換し、テロである事を強調する。これもまた良い。
市川崑は大石内蔵助を「良い悪人」として描こうとしていた。「良い悪人」ならば本来高倉健の真骨頂である。東映の侠客映画では義理や人情の狭間で「大量殺戮」を犯すのが常であった。東映が描いてきた侠客たちはヒーローであった。だが、本作で描こうとする大石内蔵助はヒーローであって良いのだろうか?
市川崑のブレは極まる。
本作の大石内蔵助はまさしく東映産の侠客花田秀次郎と相違なかった。テロリストを描こうとしながら、その「ずるさ」「悪賢さ」を演出しきれず最後にはヒーローを描いてしまった。結局は数多くある『忠臣蔵』と変わらぬ結果に落ち着いてしまった。最後は「死んで貰います」の名文句が似合う結果だった。
せっかくの設定が勿体無く思える。
また多くのコメンテーターが指摘するように、女たちと絡むシーンの無駄さは理解し難い。市川崑のスタイリッシュな作風にラストまでさくっと観れてしまうが、女たちとのシーンでそのスピーディーさは半減していく。残念至極である。
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