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[コメント] プライド・運命の瞬間〈とき〉(1998/日)

これからイラクで行われようとすることが描かれている。だが、私たち日本人は12月23日という日に対し何の後ろめたさも忘れて、ただの祝日としてSEXに励む。
sawa:38

東京裁判を描いている。故に各方面からの批判は多い。中国の国家指導者からすら(批判だが)コメントされる邦画もそう無いだろう。それらを承知で制作した伊藤俊也の確信犯たる「覚悟」も立派だ。

女囚さそり』シリーズで「日の丸」をモチーフに反権力・反体制を描いてきた伊藤俊也監督が右寄りスポンサーの下で本作を執筆した事に戸惑う批評家が多い。だが、伊藤はインタビューでこう答えている。

「東京裁判から始まるアメリカの戦後戦略は五十年間日本を規制した。裁判に続く憲法、日米安全保障条約もセット。この認識を欠いた言葉だけの反体制、平和運動は、沖縄の現実をどうみるのか。だれもがあの戦争に抵抗できなかったという怯(おび)えがヨロイとなり、憲法に触れるだけで軍事国家に逆行すると騒ぐ硬直状態を問い直すべきだと思う。」(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/event/geino/pride02.htmlより引用)

上っ面だけの反体制運動の底が見えてしまった結果が本作なのだろうか?

「女囚さそり」は世間から恐れられ、看守からも同房の女囚たちからも忌み嫌われた。松島ナミはそんな孤独に耐えた女だった。

それでは「虜囚東條英機」はどうか。東條は陸軍大臣と首相を兼務し、日本の戦争遂行を指導した「体制」そのものだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓を作ったその人である。だが、敗戦となるや自決に失敗したとはいえ、虜囚の辱めを一身に受けることとなった。戦勝国はもちろん、日本国民からも嘲笑われ、忌み嫌われた。四面楚歌である。

現在私たちが歴史の授業で習う駆け足の近代史では、好戦的な陸軍の暴走と悪役東條英機というあまりにも簡素化された図式での答えが用意されている。

戦勝国アメリカは戦後の日本に素敵なプレゼントをしてくれた。自由と民主主義である。そして共産勢力に対する防波堤としての必要性から日本の安定がどうしても必要であった。その為には天皇制の存続すら認めた。アメリカの最大のプレゼントは天皇の免罪であったろう。だが、同時にアメリカは「悪の指導者に踊らされた不幸な羊」として日本国民をも免罪してくれた。

日本人は東條を生贄として東京裁判に差し出し、被害者として振舞う事を許されたのである。作中、東條の孫が転校先の小学校で女性教師に紹介されるシーンがある。「東條君のおじいさんは、泥棒よりもずっと悪い事をした人です。」一般の国民は、被害者だったという青天の霹靂たる解釈をプレゼントされて自己の存在価値を何とか持ち直せた。

戦争を遂行した責任者として、東條を擁護できる者はいない。私も擁護するつもりは全くない。彼の判断が戦争を泥沼に引きずり込み、落としどころも見誤った。敗戦の決断が一日早ければどれだけの人命が死ななくてよかったか、ヒロシマもナガサキも無い終戦があったかも知れない。オキナワもソ連参戦の無い終戦もあったろう。彼は万死に値する。だが、それは我々日本人が裁くべきことだとも思う。

東條は将来の天皇である皇太子の誕生日に処刑された。我々日本人が生涯忘れ得ぬようにという連合国の仕掛けである。勝者が敗者を裁いた東京裁判は勝者にとって後ろめたさの残る裁判であったという。だが、生贄を差し出した日本人にとっても後ろめたさを感じて欲しい裁判でもあったのだ。

今年も12月23日が過ぎた。だが、誰もこの日をそんな意味合いで過ごす者などいなくなった。X'masイベント最大の祝日としてラブホテルが年間最大の回転率を誇る日となった。

そして遠いイラクの地へ自衛隊が派遣される事が決まった。悪の指導者=フセイン元大統領も捕縛され、やがて裁判にかけられる。石油ぐらいしか利害のない日本にとって、フセインの裁判はワイドショー程度の関心で語られることになるのだろう。だが、勝者が敗者を裁く痛い感覚を知っている数少ない国家が我々日本だ。アメリカがくれるプレゼントも知っている。インドのパール判事はもういない。我々日本人は復興支援もさることながら、アノ痛い感覚を遠いイラクの人々に伝える必要があるんじゃないだろうか?

(評価:★4)

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