コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 天国の駅(1984/日)

汚れ役に挑戦した女神。いくら肌を露出しようとも高貴な上品さは消せなかった。哀しきミスキャストだろう。
sawa:38

本作では邦画界の女神たる「吉永小百合」の自慰シーンや濡れ場、入浴シーンなどサユリストにとっては驚天動地のサービスカットが満載されている。

女優として、綺麗なお人形さんのような役だけで終わってしまうにはあまりにも惜しい女優である事は日本人なら誰でも知っている。そしてそれは本人が最も痛切に感じていた事だろう。

だからこその本作への出演である。

本作の主人公は、美しいが故に運命に玩ばれる女であり、三人の男の所有物となるも、その内の二人の男を殺害した死刑囚だ。主人公の本意ではないにしても周囲の女たちをも死に追いやっていく。やりきれない運命の悪戯とはいえ、まさしく魔性の女である。

本作が従来の「吉永小百合」のイメージ像で制作されたのなら、「運命に玩ばれる女」というだけの描写で終わらせただろう。だが、制作陣は彼女に自慰をさせ、草むらで男を貪らせた。これはもう本気でイメージ打破をやってきているのだなと観客を正座させるには充分過ぎる演出であった。

この女は性の衝動を・・・・えぇい面倒くさい、つまり簡単に言ってしまえば「淫乱」な要素が多分にあったのだろう。運命に玩ばれただけではなく、自らも毒婦として周囲に凄惨な事件を引き起こしていった女でもある。

しかし、本人の意気込みや制作陣の本気汁は伝わってくるも、いかんせん彼女は美しすぎた。いくら肌を露出しようとも高貴な上品さまでは消せなかったと思う。「運命に玩ばれる女」は彼女の演技力を持ってすれば表現できる。だが、「淫乱な毒婦」は彼女では表現出来ないのだ。

吉永小百合、それは「高貴であるが故に女優生命を狭めている女優」でもあるだろう。それが証拠に、無数の出演作があるにも関わらず、未だに代表作がデビュー作の『キューポラのある町』で済ませられてしまっている事からも分かる。

残念である。多くの先輩諸氏を傍に見ながら、栄えあるサユリストの末席に名を連ねたいと密かに願う若輩者の戯言だと思って聞き流していただければ幸いであります・・・

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。