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[コメント] GODZILLA ゴジラ(2014/米)

我々は、また、ゴジラ詐欺にあった。しかもこれは、より巧妙に隠蔽された醜悪な詐欺である。(公開から一か月経って、自分の中で結論が出せたので、採点をし直し、レビュー大幅加筆しました。)
ロボトミー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







エメリッヒは『ゴジラ』という名前で『原子怪獣現る』のリメイクをつくったが、果たして今回は…。

って、これ『ガメラ 大怪獣空中決戦』(G1)のリメイクです。みなさん思った通り、どこからどうみてもガメラです。もう顎外れるほどガメラ。ポルナレフのAA風に言うと、「ゴジラを見に来たと思ったらガメラ大怪獣空中決戦がはじまった。何を言ってるかわからねーと思うが…」ってほどガメラ。ギャレス・エドワーズは、ゴジラの名を騙ってガメラのリメイクをつくってしまったようです。

いや、面白いんですよ。だってG1のプロットまんまなんだから面白くないハズがない(G1の方が数百倍面白いと思うけど)。確かに、エメゴジに対する反省と言うか反発というか、「質の高い怪獣映画をつくりたい」っていう志は相当に高かったんだろうと思う。「生物」と「怪獣」の違いとはなにか、考え抜いた形跡はある。日本の怪獣映画のことも必死に研究したんだろう。で、できあがったのはハリウッド版ガメラ。いやぁ、その気持ちもわかるんですよ。だって、平成ガメラシリーズって、怪獣映画の到達点だもん。完成度高すぎるもん。

世界中の観客たちはガメラのことなんか知らない。いや、日本中の観客たちだって、ガメラのこと知ってるのはほんのわずかしかいない。だから、「ゴジラ」と「ガメラ」の本質的な違いまでは考えなくていいし、「ゴジラだって人類の味方してくれた時期あるじゃん。だからこんなゴジラもアリだよね」ってのは、通る。通ってしまう。

ただね、やっぱり「ゴジラ」と「ガメラ」は違うんですよ!アメリカ人にもわかるようい言うならばさ、赤いボディスーツ着て手首から糸を出すヒーローいても、そいつが美女を連れてパーティに現れるような会社経営者だったら、それはもうスパイダーマンじゃなくてバットマンだってことなんですよ!(アイアンマンでも可)

沢山の作品がつくられてきた中で、「私の思い描くゴジラ」ってのは人それぞれです。色んなゴジラがいたし、新しいゴジラがこんなゴジラであってもいいと思います。折角の新作ゴジラです。続編の制作も決定したようです。どうせなら手放しで褒めたかった。映画館でガッツポーズしたかった。でもダメです。だってこれはガメラなんだから。。。

これを機に、平成ガメラ三部作の再評価の動きが高まるといいですね(小さきなんとかのことは忘れましたすみません)。来年2015年は、ガメラ50周年。新作がつくられるという噂もあります。さぁ、みんなで叫びましょう!ガメラは最高だ!と

↑等と言うレビューを書いたのは、確か公開三日目くらいたったと思います。(以下、公開一か月後、加筆)

今回のゴジラについては、方々から聞こえてくる前評判の高さ、特に、「今回は大丈夫。(エメゴジと違って)ちゃんとゴジラしてる」という声を信じ、 「映画の出来さえよければ、ちゃんとゴジラ映画として受け入れよう。小うるさいことをいうより、久々のゴジラを楽しむスタンスでいよう」 という気持ちで、公開初日に鑑賞しました。

鑑賞後、「ゴジラというよりガメラだったなぁ」とかぼんやり思いながら、モヤモヤとした気持ちを抱えつつ、劇場を後にしました。その勢いのままレビューを書きました。 その後一か月、このモヤモヤの正体はなんだったのかを考えつつ、映画の内容を反芻し、私は一つの結論を得ました。

我々は、また、ゴジラ詐欺に合った』ということです。 しかも、今回のゴジラ詐欺は、前回(エメゴジ)の反省を踏まえつつ、より巧妙に隠蔽された、醜悪な詐欺であると思います。

ゴジラ映画の製作者には、ゴジラをゴジラたらしめるために、「ゴジラとは何か」という命題に向き合う必要が出てきます。 結局、今回のゴジラにしても、この命題に対し、どのような答えを用意できるかが、カギであったと思います。 大きくて、強くて、背びれがあって、二足歩行で、放射能を吐いて、等ということは、確かにゴジラのキャラクター造形において重要なことであり、 ギャレゴジは、これらの条件を満たしていると思います。 (逆に、この点がクリアできていなかったエメゴジは、「これはトカゲであってゴジラではない」と言われてしまったわけです。) ギャレスは、画作りが非常に上手く、咆哮するゴジラはとてもかっこいいですし、 背びれの先から徐々に光るシーンなどは(その後青白いゲロを吐いたので、失望しましたが)ゾクゾクしました。 しかし、その画作りの上手さが、今回のゴジラにおいて歪められたキャラクターの根幹を、巧妙に隠蔽していると思います。

そして、みんな騙されていると思います。

ゴジラというキャラクターの根幹は、「ゴジラ自身も核兵器の悲しい被害者である」という点ではなかったでしょうか。 日本のゴジラシリーズにおいて、ゴジラがシェーをしようが、人類の味方をしようが、この点がブレたことはありません。 エメゴジに至っても、実はこの点はブレていません(核実験をやったのはアメリカではなくフランスだという開き直りはありましたが)。 初代ゴジラ製作者たちが込めた反核への思いは、歴代のゴジラに踏襲されてきたはずだったのです。

ところが、今回のゴジラで全編にわたって流れる「核兵器に対する肯定感」は何でしょう。 「1950年代の核実験はゴジラを殺すためだった」という開き直り! この開き直りの醜悪さに気づいてしまった今、私は、この映画を許すことはできません。 「ゴジラがかっこよかったから」とか「迫力があったから」とか、そういう理由でこの映画を許容するのがゴジラファンだと言うのなら、 ゴジラファンは死んだんだと思います。

ぽんしゅう様のレビューを読んで、私は目が覚めました。 本多監督に、伊福部先生に、土下座して謝りたいと思います。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)Myrath 水那岐[*] おーい粗茶[*] まー[*] ヒエロ[*]

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