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[コメント] ラリー・フリント(1996/米)

ポルノを通して「表現の自由」を観る。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 出版と“表現の自由”問題とは切っても切れない関係となる。出版とは基本的に営利追求だが、書籍を売るためには常識人(と思っている人)が眉をひそめるような過激さも必要な時がある。そしてその“過激”も様々で、時にそれはエロチックさを売りにしたものもあり、時にそれは政府に対する批判であったりもする。それは公序良俗に反するという意味で弾圧を受ける事も多く、そのギリギリの線をどう作るかというのが出版社の腕の見せ所。

 そしてそこから微妙に足を踏み出してしまったことで、“表現の自由”という言葉が出てくるのも事実。現在言われている表現の自由とは、こう言うところから来ている。

 ここで面白いのが、“表現の自由”とは過激な表現を指すが、その範囲は、政府に対する批判と過激なポルノ表現が同一線上で語られているという点だ。ポルノと政治。冷静に考えれば全く違うもののはずなのだが、どちらもいわゆる“良識を持った人間”からは眉をひそめられており、公序良俗に反するものとして取り締まるべきものとして考えられているものとされるところに共通点があり、どちらもどこまで表現できるのか?と言う限界を競うという点にも共通点がある。

 それ故に、時に低俗と言われる雑誌の中に極めて的確に政府や社会に対するものが出たりもするのだ。低俗であるが故にこそ出来る社会貢献なんてのもあったりもするわけだ。

 それで本作は、その面からポルノ雑誌を見るという、とてもユニークな観点の作品となった。なんせ製作にハリウッド社会派の巨匠オリヴァー・ストーンが名を連ねているのは伊達ではない。ここからアメリカにおける表現の自由を保護した条約「修正第1条」の存在の素晴らしさを伝えようとしてるのが分かる。

 ただ、それが成功したかどうかは話が別。フォアマンが作ったがために、ちょっと格調が高くなりすぎた感じ。

 この作品の素材であれば、主人公のラリーは徹底した低俗を貫き、その周囲の人達に振り回される存在である必要があったかと思うのだが、ラリーの“自由”に対する考えを強調して美化し過ぎた感じだ。

 尚、本作のポスターはキリストの磔刑と星条旗と女性のヌードを組み合わせたものだったが、物議を醸して差し替えとなる。

(評価:★3)

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