[コメント] ヘンリー五世(1945/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
1939年に始まった第二次世界大戦は、単に実際の戦いだけではなかった。水面下で国同士の威信を賭けた戦いもなされていた。それは“文化”同士のぶつかり合いだった訳だが、顕著にそれが表れたのが映画という媒体だった。戦争の当事国はそれぞれ自国の正しさを、そしてこれが自由のための戦いである事を映画を使って喧伝するようになったのである。いわゆるプロパガンダ映画が最も発展した時期でもあった。
当事国であるイギリスにおいても多くのプロパガンダ作品が作られることになるのだが、その中で最も有名で、且つ作品として優れた作品と言われるのが本作である。
国威高揚のためだが、ここで古典を持ってくるのがイギリス流。シェイクスピア劇でイギリスとフランスの戦いを描いた作品を見せることで、国に誇りを持たせようと考えてのことだろう。そしてそれは確かに功を奏している。
この作品の監督・主演によりオリヴィエは一代貴族となった(本来ワイラー監督がメガフォンを取るはずだったが断られたため、当時海軍航空隊に入隊していたオリヴィエを引っ張り出した)。
本作は一見プロパガンダ作品には見えない。演じられたシェイクスピア劇を観衆が観ていると言う劇中劇となってる。
これはとても不思議な感覚だ。
これまでにも数多くのシェイクスピア劇が映画化されたし、恐らくはこれからも数多く作られるのだろうが、通常、舞台劇は映画用に翻案されることが普通で、舞台劇そのものを映画にすることは普通しない。特にシェイクスピア劇は古典的な英語で会話がなされるし、言葉もとにかく回りくどい。これをそのまま映画にしたら、単なる舞台を映しただけになってしまう。映像作家としては、それは演出ではない。そうではなく映画ならではの演出を求めるはずである。
ところが本作は、冒頭とラストで1600年の時代であるという演出を見せるだけで、基本的には本当の舞台劇を作ってしまった。この“シェイクスピア劇を観る”ことによって、シェイクスピア劇そのものを映画に出来てしまうと言うことを作り出してしまったわけだ。 これが可能だったのは、監督が本当の舞台人であるという事実だろう。舞台でやってることをそのまま出すことが出来たのだから。映画でありながら、舞台劇であるという矛盾をそれでクリアしてしまったのだから面白い。
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