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[コメント] ランド・オブ・ザ・デッド(2005/米=カナダ=仏)

ロメロの反逆児っぷりは、老人になっても健在。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 監督自身がかなり寡作なので、最初に登場した『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が1968年で、それから実に40年近くを経て4作目の本作が作られることとなった。第3部の『デイ・オブ・ザ・デッド』からも既に20年。三部作で終わるかと思っていただけに、かなり驚きをもって本作は迎えられることとなった。

 それで一見して「何で今頃?」と言う感を強くしたのだが、改めて考えてみると、ロメロ監督にとっては決して一貫性がないわけではないのかもしれない。と思いなおした。

 振り返ってみると、これまでの三部作についても、それぞれにテーマがあり、そして一貫して「一番恐ろしいのは人間である」という主張にあふれていた。

 一作目『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が作られたのは1968年。ヴェトナム戦争が本格的に始まった時期に当たり、この時代に時を合わせたように映画界でもニュー・シネマが始まっていった。インディペンデントであるニュー・シネマは監督の主張が入れやすいのだが、その中で共通するのは“アメリカの正義”に対するアンチテーゼだった。ヴェトナム戦争でアメリカがしている残虐行為は本当に正義なのか?美辞麗句に彩られている正義の実態は何だ?その延長線で作られていたのが一作目だった。

 そしてそれから10年後に作られた二作目『ドーン・オブ・ザ・デッド』に関しては、ヴェトナム戦争後、すっかり物欲に取りつかれてしまったアメリカに対する皮肉たっぷりに作られている。あの作品で舞台となっているショッピング・モールは、現在もなお発展を続けているので、図らずも予言のような意味合いさえ見て取れる。

 その次の第三作『デイ・オブ・ザ・デッド』が世に出たのは1985年。タカ派のロナルド・レーガンが大統領に就任した時期に当たっている。しかも内容はモロ軍隊の非道さを描くもの。

 こう見てみると、それぞれの時代に合わせて監督はリビングデッドものを作ってきたことが分かるのだが、それでこの作品の場合…まあ、言うまでもないが、この年はイラク戦争まっただ中にあるその時代に投入されている。

 そこで何が言いたいのか?

 イラクで起こっている悲惨なこと?それもあるんじゃないかと思うけど、むしろこの構図はアメリカの国内で起こっていることそのものなんじゃないか?

 この作品の舞台では人間は完全に二層に分かれており、一方は貧しい街に住み、日夜リビングデッドの襲来におびえ、一方は超高層ビルの中、セキュリティシステムに囲まれて暮らしている。

 そしてリビングデッドに対抗するため、街の人間は武装を余儀なくされ、街を何とか守っていくのに手一杯なのに、上層に住む人間は、さらに彼らの尻をたたき、彼らの怠惰さを叱責する。

 つまるところ本作は『華氏911』と指向が全く同じ。アメリカ国民に対し「お前たちは何をやってるんだ?」と言う告発をストレートにぶつけた作品ではないか。

 一旦そう思って観てみると、本作の皮肉ぶりはかなり顕著に見られてくる。自分たちが生きるためと言われ、国に尻を叩かれて出兵していく兵士たち。そしてそれを「生きるため」という意味をつけられて応援している国民。すべてはここに描かれているとおりだ。ロメロはいつまでも枯れない人だ。と感心して観ることができるだろう。

 本作ではキャラの怪演も見どころの一つ。久々に銀幕で観たデニス・ホッパーは、権力者役を嬉々として演じているが、これだって彼がロメロの思いに応えて演じていたのだろうし、ヒロイン役がアーシア・アルジェントってのも、なかなか分かった配役だ。

 それでいろんな意味でにやにや出来る作品に仕上がっているが、問題として、本作はリビングデッドを出す必然性が無い。と言うところだろうか?すでに大御所となってしまったロメロの演出は、進化した演出からはかなり逆行しており、かなり描写的には古臭いものになってしまった。時事ネタを扱うにはこれ。という監督の意地が入ってるのかもしれないけど、だったらもうちょっとその点にも新しさを取り入れても良かった気がする。怖くないから安心して観られるけど、それは本末転倒だろうし。

(評価:★3)

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