コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] セブン・イヤーズ・イン・チベット(1997/米)

アノー監督らしい淡々とした演出は、ブラピの顔をもってしても、やっぱり退屈。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 70年代、アメリカで始まり世界を席巻したヒッピー文化はチベット文化があってこそだった。それほど影響を与えたチベットだが、実は西欧がその地の存在をはっきり知ったのは第2次世界大戦が終わって後。更にその文化に興味を持つに至ったのは、まさしくこの実在の登山家ハラーの体験をまとめた原作によるものだ。

 本作はそれまで西洋に向かって開かれていなかったチベットという地にスポット・ライトを当てた最初の実録作品で、たちまちベスト・セラーとなり、西欧の関心が深まったが、折から共産党による新中国により、既にチベットは荒されてしまった後だった。インドに移ったチベットからはやがて西欧にその文化が流入していく。又、ダライ・ラマがインドで亡命政府(と言うか本山というか)を作ることが出来たのは、幼少の頃に西欧の文化を吸収したためかも知れない…その歴史の転換点にあり、自らが歴史を作った人物ハラー。まるでチベット版『王様と私』と言った感じで、とても興味のある人物だった。

 しかし、実際はこんなものなんだろうな。自分が生きるために必死になって逃げ回ってる内に幸運にも助けてくれたのが、たまたま歴史の転換点にあったチベットであり、そこから得たものを、これも生活のために本にしたところ売れてしまったと言う、本人にとっては単にそれだけのことなんだろう。本作の特徴はそれを淡々と描いていったことにあるのかな?

 まあ、実際ダライ・ラマの家庭教師と言っても、やってることは淡々と日常を繰り返すことなんだから、それだけではあまり物語にもならず、映画そのものも長々と逃亡生活を描くことになる。その部分はリアリティはあったけど、なんだか退屈。チベットに入ったら少しマシになるかと思ったら、やっぱり退屈。中国(中共)の侵入シーンも、なんだか話的には淡々としすぎ。

 歴史の勉強としては分かる作品だけど、全体的に退屈な作品。ブラピの顔だけで保つ時間はそんなに長くない。フィクションを混ぜ込めとは言わないけど、もう少し演出には気を遣うべきじゃないか?オーストリアに残してきた家族のことも蛇足っぽい。

 尚、この映画が作られた時点…というか、現在もだが、チベットは中国によって完全に抑えられている。当然ながら、チベットロケは不可能なので本作はアルゼンチンの山岳地帯で撮影されたそうだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)ヒエロ[*] G31[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。