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[コメント] ロッキー・ザ・ファイナル(2006/米)

ロッキーを知る人に、ロッキーを愛する人に、そしてロッキーを心に持っている人に。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 改めて思う。理屈で捉えるべきではない映画もあるのだと言うこと。

 本作は、こう言っては何だが、大変ベタな作り方の上に、ほぼ忠実に1作目の『ロッキー』(1976)をトレースした作品に仕上がっている。正直な話、物語そのものはベタベタな70年代アメリカン・ドリーム神話をそのままストレートに作られているだけで、これと言って特色がある訳ではない。

 しかし、特色がないというのは、ある意味ではとても重要な要素でもあるのだ。この作品が2006年という時代に作られたと言うこと。その点が何より重要である。

 70年代の泥臭いサクセス・ストーリーは特に映画では近年忌避されるようになった。このところ作られるハリウッド映画はどこか閉塞感を感じさせられるものばかり。元よりアメリカがチャレンジャーであった時代は映画も又解放感が感じられていたものだが、現在製作されている作品は見事にこぢんまりしたものばかり。邪推すると911テロはアメリカという国を大きく狭めてしまったのではないだろうか?自分たちの国が狙われているという感覚は自然意識を内に向けてしまう。

 そう言う意味では“心揺さぶられるような”戦いを描いた映画というのが近年では全然無くなってしまった。今更売れないというのが大きな理由だろうけど、CG中心のアクションでは、いくら楽しくても“燃え”はしないのだ。特に『ロッキー』で心からの燃えを感じた人間にとっては欲求不満が溜まっている。

 だからはっきり言ってしまうと、私たちは求めていたのだ。単純明快で泥と汗にまみれた努力物語を。それは私たちの心にもやはり劇中ロッキーが語ったように「くすぶる炎」があるからであり、それを押し込めて現実を生きている自分自身がいる。それをどこかで解放してくれる物語を求めている。そういう心を解放してくれるような物語がなかなか与えられていなかったという事実に、多分私たちは乾いていた。

 その渇きとはロッキー自身もそうだけど、おそらくここに登場するロッキーの息子ロバートこそが実は私たち自身を指し示していたように思える。かつて父の強さに憧れ、試合に声援を送っていたロバートは、その熱さを心に押し込め、むしろ親の影響を嫌がって生きている。彼にも燃える心はあるはずなのだが、それを表に出すことを恥じる。「けっ。今更こんな単純な物語なんてくだらない」とか言っている“自称”映画評論家に似ているかもしれない。

 そんな時に与えられたのが本作だったとも言える。

 ここでのロッキーは、そこそこ社会的にも成功を収め(どことなく『レイジング・ブル』のラ・モッタに似せたのは狙ったのかな?)、老後を送るには結構悪くない生活を送っている。少なくとも過去の自慢話を聞いてくれる人には事欠かないし、レストランも結構繁盛している。だけど、常に物足りないものを感じ続けているのも事実。社会的には満足でも、愛するエイドリアンも息子のロバートもいない生活。ボクシングを除けば家族しかなかったはずのロッキーにとっては大きな痛みだった。

 既に老境に入っているとはいえ、このまま徐々に徐々に老いていくのか?という思いと、まだ心にくすぶる炎は完全燃焼していない。という思い。それが通常考えれば無理なボクサーとしての復帰へとつながっていく(マリーの存在はそのきっかけとなったのは確かだろう。ロッキーは今でもエイドリアンを愛し続けているが、それと同時にマリーに惹かれている自分もいる。その思いに答えを出すため、一度全てを吐き出したかったはずだ)。

 普通考えれば無理な話だ。しかしその無理なことをやってしまう。それがロッキーという存在である。たとえ若くても世間に飲まれてしまっている私たちがやろうと思っても出来ないことを彼はやるのである。私たちの願望を乗せて。

 ここではかなりあっさりと描かれているが、1作目を彷彿とさせるトレーニング風景は、それだけでも涙が出そうになるくらいに格好良かったし、ディクソンとの試合も、速さと手数で翻弄する敵に対し、重いパンチを的確に入れていく方法、最大の強さはタフさであること。その辺が忠実に描かれている。見たかったロッキーの姿というのがそこには確かにあったのだ。

 現在の、こぢんまりした時代だからこそ、そこから踏み出す作品が必要とされていたのだ。それに本作は見事に応えた。

 そして何より、最後にロッキーの伸ばした手が名も知れぬ観客の手にタッチして終わる、その瞬間に気付く。これはロッキーから、これを観ている人達に対するメッセージであると言うことに。今の時代でも、人間の心には炎がある。それはロッキー一人のものではなく、彼を通して伝えられていくと言うことに。息子ロバートはロッキーの生き様を見て一歩踏み出した。それはロバートだけではない。対戦相手であるディクソンも、そして名も知らぬ観衆達も。

 勿論それは観ている私たちも。

 お陰で私も又、心に確かに炎があると言うことを再確認させていただいた。

 そして、映画はそれを受け止める人の心を必要とすることも。理屈ではなく、心で受け止めるべき映画も確かにあるのだ。

(評価:★5)

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