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[コメント] ブラック・スネーク・モーン(2006/米)

“こう作るしかない”物語が、“こう作る必然性があった”物語へと転換していく過程をたっぷり楽しませてもらいました。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ジャクソン、リッチという、個性派俳優の共演によってなされる心理劇ドラマ。  …とりあえず“個性派”と書いたけど、この二人ほど観る前から何をするかが分かっている人選もない。

 まずジャクソンはハリウッドで一番“説教”が求められる役者。この人は一応アクションスターなのだが、むしろ一方的に長々説教するシーンの方が印象に残ると言う面白い人物。

 一方のリッチは、一言で言えば“汚れ役”。女性としてこの役はきついだろう?と思われる役を好んで演じる女優で、顔なんか見るとまだ十代じゃない?と言うあどけない表情してるのに、演ってる役はことごとくえげつない描写のものばかり。ある意味でものすごく貴重な女優でもある。

 と言うことで、“説教好き”と“汚れ役”と言う二人が共演となれば、出来る作品はおのずから決まってしまう。それで本当に期待を裏切らない予想通りの作品が出来てしまう辺り流石で、これほど期待を裏切らない作品というのも珍しいくらいだ。

 ただ、予想通りであるとしても、物語自体はうまく出来ている。老人が若い女性を鎖で縛って“飼う”という変態的な設定にもかかわらず、内容は硬質で、一見互いを傷つけあってながら、その実二人が互いに依存する関係を経て二人ともが自立するまでをきちんと描いている辺り、巧みさを感じる。

 これを可能にしたのは、二人の立ち位置をしっかり取っているからだろう。ジャクソン演じるラザラスは決して立派な人間ではない。ジャズプレイヤーであった過去の栄光にしがみつき、更に妻に去られた自分の不甲斐なさを悔いていながら、それでも説教せずにはいられない。どっちかというと、誰でもいいから自分の話を聞いてほしいと言う思いが強く、だからこそレイを縛った。ラザラスを老人にしたのは、そこに性的なものを介在させないためだし、行為ではなく言葉で関係を築く立場に置いて、一方的に語らせる。微妙な位置関係だからこそ、ラザラスが求めているものが見えてくる。一方的にしゃべらせるのも、レイに聞かせるよりも、独白を続けることで自分自身を見つめるためだった。一方リッチ演じるレイはまったく逆。セックス依存症という彼女の立ち位置は、言葉を必要とせず、ほしいのは肉の触れ合いだけ。そんな彼女が最も必要としたのはセックスを介在させずに、人の生の言葉を聞くことだった。それによって、自分だけじゃなく、他人も寂しさを抱え、それを癒したがっていることに気づいていく。この噛み合いがあったため、暴力的な言葉のやりとりが徐々に変化していく様子が見られるようになるのだ。

(評価:★4)

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