コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] アキレスと亀(2008/日)

どうやったら追いつくのか。これが北野監督なりの答えになるのかも。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「自分の好きなものを作る」宣言後、北野監督は二本の映画を作ったが、そのどちらも見事にコケ、「もう一本」という願い虚しく、一般にも理解できる作品を作るというコンセプトで作られた本作。

 確かに随分分かりやすくなったし、その中で北野監督にしか作れない作風をしっかり継承しているのは分かる。かなり不思議で、そして楽しい作品に仕上げられている…ただ一般受けするかどうかはちょっときつい内容かも?事実私の住んでる地方では上映期間は極めて短く、一日一回のみ上映。しかも入った客は10人にも満たないというこの状況は、全般的に興行的にはかなり厳しいことが予想される。

 実際バランスは決して良い訳じゃない。本作は少年時代、青年時代、中年の今という三つの時間軸に分かれ、それらが順序よく描かれていくことになるが、全部の物語にあまり一貫性が感じられず、特に少年時代、青年時代の「悲惨な中で黙って自分の好きなことをやろうとしている」姿勢が中年になってから完全に浮いてしまい、所々出てくるギャグシーンが笑えなくなってしまったという問題もあり。それにやっぱり音楽がなあ。なんで久石譲引っ張ってこれなかった?わざわざ似せようという気が満々なだけに、どうしても違和感感じてしまう。

 ただ物語そのものを俯瞰してみると、三つの時代全てを貫き、非常に冷静な視点で自分自身を見つめているのが分かる。どんな悲惨な状況にあっても、人物への感情移入を拒否し、あるがままを黙って受け入れさせようとする視点は完全に北野監督に特有のもの。少なくとも、どんな作品を作っても自分のものにしている監督の姿勢がよく分かる。

 ところでこのタイトル「アキレスと亀」のたとえをファーストシーンに挿入し、ラストシーンで「アキレスは亀に追いついた」という言葉を出したことは、一体何を意味したのか。内容はともかくも、私はラストのこの言葉がどうしても気になってしまった。

 これはいろんな解釈が可能だろうが、以下は私なりに考えたもの。

 「アキレスと亀」は古代ギリシアの“ゼノンのパラドックス”と呼ばれる有名な哲学の問題。どれほどアキレスの足が速くても、対象物が動いている限り、亀には到達することが出来ない。というテーゼである。

 しかし、これは現実では考えれば分かるとおり、アキレスはただ一歩踏み出しさえすればいい。亀を簡単に抜き去ることが出来る。

 だがそのパラドックスに陥ってしまうと、どうしても目的のものに手が届かない。後ほんの少しで手が届くはずのものが、どうしても捕まえることが出来なくなる気にさせられるものだ。

 これは人間が集まったところでは必ず起こること。特に専門的に世界が狭くなればなるほど、その中でどうしても答えが出なくなってしまうという問題が起こるようになってしまうのだ。後で過去の自分を振り返ってみると、「何を馬鹿なことを」と思えるようなことが、狭い世界にいる時の自分には全く分かっていない。当人は精度を高めようと必死に努力しているのだが、高めれば高めるほど分からなくなってしまう。私だっていろんな専門的な会議に出ると、いつもその惨めな感じを受けてしまう(後で友人と飲み食いしながら憂さ晴らしをするのだが、根本的に、何故その時こう思えなかった?という問題を常に抱え込むことになる)。

 これはまさしく芸術とはそんなものに過ぎない。という達観と見ることも出来るだろう。真知寿は芸術を作ろうと必死に努力し、反社会的な行為までしているが、決して本当の芸術というものを捉えることが出来ないまま終わる。自分のスタイルを捨て人の言うことを聞いたり、人間として突き抜けたところにゴールがあるものと思い込み、自殺一歩手前まで自分を追い込んでみたりする。まさしく決して追いつけない亀に近づこうと躍起になるアキレスの姿そのままだ。

 だが、最後に「アキレスは亀に追いついた」とある。

 観終えたとき、それはひょっとして真知寿は芸術を追い続けていた自分自身が実は芸術そのものだった。と言う事に気づいたのか?と思ったのだが(そう言う解釈にしても良かったんだが)、ちょっと時間が経ったら、考え方が変わった。

 現実的に考えれば、アキレスが亀を追い抜けないはずはない。たった一歩踏み出しさえすれば亀を捉え、しかもそれを抜き去ることが出来るのだ。ちょっと現実的にものを考えればそれで全ては終わる。

 芸術に追いつけないまま苦悩し、最後まで芸術を諦めきれない真知寿。だが最後に彼の前に現れる人物がいた。自分から離れていった幸子が目の前に帰ってくれ、寄り添って歩き出した瞬間、真知寿は“芸術”という虜から自由になったのだ。と考えるなら、確かにアキレスは亀に追いついたと言っても良いかも。最後に“芸術品”と思いこもうとしていたものをゴミのように投げつけたのは(いや事実ゴミなんだけど)、これまでの生き方から完全に決別できた。という満足感を意味するのかもしれない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)ペペロンチーノ[*] いくけん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。