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[コメント] チェ 39歳 別れの手紙(2008/米=仏=スペイン)

そして、伝説へ…
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 前作『チェ 28歳の革命』でキューバ革命の立役者として華々しく世界に名をとどろかせたゲバラだが、歴史的に彼が成功させた革命は、実はこれが最大にして唯一のものだった。

 それ故、映画も一本にまとめ、前作のラストシーンでそれからのゲバラの行動と、処刑されるまでの思想などはテロップで流しても何ら問題はなかったはずである。

 だが、あえてそれを二部作にし、しかも本作はわざわざ完全な負け戦を一本の映画にしてしまった。前作と比べ、明らかに悲惨で哀しい物語であり、観ていて高揚感を与えてもくれない。観ていく内にどんどん話が酷くなるので、単体の映画として考えるならば、決して良い物語と言えるものではない。実際前知識なしに単体で本作を観たら、きっとかなり評価は落ちるものと思われる…

 では何故敢えてそんな作品を作ったのか。多分それには意味がちゃんとあるはずだ。

 前作『チェ 28歳の革命』でソダーバーグ監督が描こうとしたのは、“英雄”が作られるまでだった。では本作で描こうとしたのは…私なりに考えるに、それは“英雄”が“伝説”になるまでではなかったかと思う。

 歴史上には“英雄”とされる人間の他に、“伝説”とされた人物と言うのが何人か存在する。

 英雄となれる人物は、確かに数は少ないが時代に何人も登場する。だがそれが伝説となると、更に数が少ない。

 ぱっと思い浮かべる“伝説”とされる人物を何人か挙げてみると、たとえばナポレオンがそうだろうし、日本では宮本武蔵なんかもそう言われる。セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスもやっぱり“伝説”だろう。漫画でも矢吹丈はリアルな世界でさえ“伝説”と言われることがある。もちろんその世界世界の中で、数多い伝説が存在するだろう。

 これら“伝説”と呼ばれる人物たちの多くには、いくつかの共通項があるように思える。

 一つには、彼らは一つの道のために生き続けた人物であることがあるだろう。彼らは悩みはするが決してぶれずにまっすぐに道を突き進んだ。それなりに名を上げ、功を上げた後も、彼らは満足することなく、ひたすら道を極め続けようとした。彼らにとっては金を得て良い暮らしをしようとか、この辺で妥協して余生を生きようと言う考えがすっぱり抜けてる。端から見て、「馬鹿」としか見えない生き方をした人ばかり。

 そして一つには、彼らは皆道半ばで死んだものばかり。彼らが極めようとしたものはあまりにも道が遠く、戦いの中で彼らは死んでいった。

 そしてもう一つ。死んだその人物を伝える人がいて、彼らは初めて“伝説”となった。  総評を言えば、馬鹿を貫き通して死んで、それをうらやましいと思える人がいて初めて“伝説”は成立できると言うことになる。

 同じく“英雄”とされてはいるが、ゲバラはカストロとは異なり、キューバの安定で満足しない。彼は世界全部が民衆主体の国になってくれればいいと言う、実現不可能と思われる夢を抱き続け、民衆が虐げられてると思えば、国外出張してでも戦い続けた。劇中そんなゲバラの生き方を揶揄するシーンはいくつもあったが、彼の場合、そうしないではいられない。そう言う生き方しかできない人間であり、それを自分でも知ってる。自分の名前を利用することもなく、ジャングルの中で一兵士としてのみ戦い続けた。

 本当に馬鹿な生き方だ。だが、彼がそんな馬鹿だからこそ、本物の“伝説”となり得る人物なのだから。

 事実ゲバラの似顔絵は今に至るもTシャツにプリントされ続け、革命のシンボルとなり続けている。この事実こそが、彼の伝説を物語っているだろう。

ここでソダーバーグ監督が本当にやろうとしたのは、“伝説を作る”と言うことではなかったのだろうか?伝説を描くのではない、伝説を作ろうという試みである。さて、それが成功したかどうか、それはもう少し後になって分かってくる事だと思われる。まずはこの作品が、果たしてちゃんと世間に受け入れられるかどうか。そこからだな。

(評価:★4)

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