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[コメント] ダイアナの選択(2007/米)

映画的挑戦は認めるけど…
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 レイチェル・ウッドが成長したら、いろんな意味であんなにでっかくなると言うのはちっと無理がありますな。

 先に『砂と霧の家』という精神的にかなりきつい作品を作ってくれたパ監督による、“決断”をテーマにした作品。『砂と霧の家』がかなり精神的にきつい作品だったので、こちらも身構えていったが、案の定きっつい作品に仕上がっていた。

 この作品は強烈な事件を基準にして、それによって引き起こされる記憶の断列が描かれることとなり、過去と現在とがごちゃごちゃになっていくのが特徴となっている。映画の作りに対する挑戦性も感じられ、テーマと言い作りと言いなかなか興味深いものになっている。特に、悪夢が過去の出来事のことだと思っていたら、いつの間にか実は現実世界こそが悪夢そのものにほかならなかった。という物語展開は、悪夢映画好きにはたまらない魅力。

 ただ、この作品の場合、整理しきれないところが結構あるので、それをちょっとここでまとめてみたい。

 この作品のラストは、私が考える限り、三つの解釈が成り立つ。

 一つ目は、あれで実はダイアナは死んでなかったと言う解釈。あそこで生き残って、無事夫を持つ事が出来た。

 二つ目は、実は現在ダイアナとよばれている女性が、実は親友のモーリーンの方で、彼女が街に残る決断をして、顔かたちまで変えてダイアナになりきったと言う場合。

 そして三つ目は、この作品は、未来のダイアナが過去をフラッシュバックとして捉えているのではなく、高校で銃撃にあったその時こそがリアルな時間であり、ダイアナは未来を幻想として観ていたという解釈である。

 そのどれが正しいのかは、劇中では明らかにされない。しかし一番可能性としてあり得るのは三つ目ではないかと思われる。それで以降はそれを前提に書かせていただこう。  ダイアナは常々こんな小さな町から出たいと願っていたが、それは若者特有の“ここではないどこか”の願望の表れで、ただ今から逃れたいための方便に過ぎなかった。しかし、親友の命を救うと言う決断をしたその時に、彼女はこの街に対する本当の気持ちというものを知ったのではなかったか。逃げるのではなく、一人のありきたりな人間としてこの町で戦って行きたい。初めて人生に対してポジティヴな思いを抱いた瞬間だった。その思いが時を超え、夫と娘という存在を生み出し、そこでつつましく幸せな生活を送っている幻想を作り出した(ついでに言うなら胸の大きさと、体を大きくすると言う幻想もあったかもしれないけど)。

 それが悪夢へと変わっていった大きな要因は、自分が今まさに死に行くと言う物理的な側面と、自分自身が今まで散々母にしてきた後ろめたいことが夢の中に入り込んでしまったからではなかっただろうか?夢の中でさえ自分は幸せになってはいけないと言うことを無意識に選択してしまったからかもしれない。それが血の幻想、言うなれば悪夢へと転換していき、死の瞬間までそれが伸びてしまった。と考えることができる。

 “未来を回想する”という特殊なシチュエーションは、映画的に考えるならば非常に面白い試みで、どちらかというとSFに近い気がするが、最終的にそれが本当に物語にプラスに働いたのかは少々疑問ではある。と言うより、私のこの考え自体が果たして的を射たものでない可能性もあるし…う〜ん。難しい。

(評価:★3)

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