コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 悪人(2010/日)

あるいは本作こそが10年代の邦画傾向を示している作品なのかも知れない。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 観始めてから少々困った。この手の人間の情念渦巻くような話って、実は無茶苦茶苦手だったんだ。こんな物語だったら、わざわざ観に来るような必要は無かったような…  …ところが、すいすいと観られてしまった。苦手なはずなのに何で?

 少しその理由を考えてみたい。

 2000年代に入り、邦画の質が上がり、コンテンツとしてもかなり客も入るようになってきた。今や国内の劇場では洋画よりも邦画の方が上映してるのが多いくらい。80年代から映画観始めた身としては、隔世の感がある。

 この2000年代(以降ゼロ年代)の邦画というものを俯瞰してみると、“空気感”というものを大切にする作品が随分増えた感じがする。むしろ人との間の“距離感”と言った方が良いのかもしれないが、つかず離れず、近いようで遠いような微妙な人間関係が物語の最初から設定され、そこに波紋を投げかけることによって(多くは“死”という出来事を用いるが)物語を進行させ、新たな距離感を作り出す。そんな感じの作品が多く作られているように感じる。もっと言えば、“好き”と“嫌い”の間にある部分を大切にしている、と言えるのかも知れない。

 でも、2010年になって、少々それとは異なる作品が作られてきはじめた気がする。空気感のある作品を無視するのではなく、一旦その“空気感”を作ってしまった上で、敢えてそれをぶち壊すような、そんな作品が出始めた。

 例えば井筒和幸監督の『ヒーローショー』(2010)なんかは、まさしくそれで、もっと人間的で、より動物的に“生きる”と言う事を問い直そうとしていた作品のように思える。あれ観た時は“古くさい”と思ってたけど、改めて考えてみると、実はあれこそが本当は新しい作品だったのかも知れない。

 人間を極限状態に放り込み、そこに与えられるより原始的なもの、理不尽な怒りを越えたところにある、より情動的な、“人を殺したい”とか“人を愛したい”とか、原初的な感情を揺り動かし、これらを剥き出しにした人間関係を改めて造り上げていく。たとえば本作の場合、空気感を作り出してるのは、殺された石橋佳乃であり、金持ちで学生生活を満喫してる増尾圭吾であったりするのだが、そんな二人の存在感を描いた上で、その命を奪ったり、あるいは暴力に巻き込んでみたり。そんな空気感を、傍らで我慢できずにいる人間というものを中心に描いているのが本作の特徴だろう。

 “空気感”の中でエゴを出来るだけ軽く見ようという方向性から、今度は、“空気感”を破壊し、エゴを出していく。そんな方向へと向かいつつあるのかも知れない。  ゼロ年代とは、何となく日本は悪くなっていくだろう。と思い、ぼんやりした不安の中で穏やかな退行期を思わせる時代だったが、10年代に入ると、目に見えて日本が悪くなってきているので、より暴力的に、より感情的な時代への揺り返しが来始めてるのかもしれない。

 本作が一見80年代のドロドロした邦画のような体裁を取りつつも、全く異なる雰囲気で見せてくれるのは、そう言った“空気感”を大切にする時代を通り過ぎてきたからからであり、その空気感の中で監督を続けてきた李監督だからこそ出来た作品だろうと思う。

 実際、わたし自身はそう言ったゼロ年代映画が好きなのだが、本作を全く抵抗なしに見られたって事は、そこに理由があったのかもしれない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。