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[コメント] 野火(2015/日)

時に「何で俺、金出してこんなもん観てるんだろう?」と思うようなことがある。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 特に私なんかは恐がりだから、残酷シーンがある映画を劇場で観るってのは、大変なストレスを強いることになって、よっぽど席を立とうか?という思いにさせられる。

 本作はそのストレスが極限まで高まってしまった。こんな思いになったのは『冷たい熱帯魚』(2010)の時以来だ。

 ただし、観終えた時、もの凄く疲れはするのだが、日常生活に戻る際「観て良かった」と思えるのが凄い。こんな思いをさせてくれる作品は本当に少ないし、それを作ってくれた監督には今は感謝したいくらいだ。

 物語は単純すぎるくらいに単純。何せ主人公はほとんど意志力がなく、流されるまま行動するだけ。「野戦病院に行け」と言われれば行くし、「帰れ」と言われれば帰る。そのどちらにもいられなくなった時には死のうとし、自分で命を終わらせられないから、ただ彷徨するしかない。誰からも命令されることなく、しかし自由とはほど遠い位置にいる。彼が生き残れたのは、単純に運が良かっただけである。だからそこにはドラマは生まれない。

 だが、どんなに主人公に意志力が無くても戦いは続き、否応なしに生死の境を彷徨うことになる。そしてその描写があんまりと言えばあんまり。戦闘機の機銃掃射によって、目の前にいる人間の頭がぱっくり割れたり、待ち伏せにあって脳漿を巻き上げて死ぬ人間とか、全身皮膚が焼けただれ、最早ゾンビ状態になっても動いてる人間、もげた腕を這いまわって探している人間、「猿狩り」と称して人間を殺す人間。ただ耳障りだから、黙らせるために現地の人を撃ってしまう主人公…よくもまあここまでやるもんだという描写が目白押し。これ大画面で見せ続けられるのは、掛け値無しに精神的な拷問に近い。正直、これ見せられたら「戦争になんて絶対行きたくねえ!」と強く思う。

 それでは本作は単なる残酷なだけの反戦作品なのか。と言われると、さにあらず。  本作で極めて強く描かれているのは、自分自身が何に寄りかかっているのか?というものだと思う。

 主人公田村は、本来部隊に属する人間で、命令があればその命令に従う普通の兵士だろう。だが、その命令系統が無くなってしまった時に何をすればいいのか?そこでアイデンティティを失う。誰か自分に命令してくれる人を探し、それをしてくれる人がいれば喜んでついていく。だが次々と上官は死に、その度ごとに自らのアイデンティティは崩れていくことになる。

 ここで主人公が、すがるべきものとは?と考えるならば文学的にも哲学的にも物語は展開するが、それを本作では拒否した。あくまで頼るべきものを求めつつ、それが見つからないまま彷徨するのみである。

 そして田村に対して、「頼るべきものを見つけた人間」として青年永松(森優作)の登場が本作の大きな意味合いであろう。彼は田村の目から見ても駄目人間である伍長(中村達也)を甲斐甲斐しく面倒を看、彼の言うことを聞いていく。劇中それは「何故?」と思わせるのだが、彼こそが本当に生きるべきよすがを見つけた人間として考える事が出来る。自分には生きる甲斐がある。そう思っているから彼は生きる事に執着できるのだ。最後に永松が伍長を撃ったのは、彼が自分を殺そうとしていることを知り、その先手を打ったこと、そして実は伍長を助けていたのは、最終的に自分の食料にするためだったと分かってくる。

 そこまでの執念で生き残ろうとする人間を配することで、田村の生き残りが本当に偶然でしかなく、ここまでして何にも寄りかかることが出来なかった田村は、最後に幻想的な火を観続けていくだけになる。

 彼が見ている火とは、生きるためにしてしまった行いにより自らの心の中に灯ってしまった野火であろう。

(評価:★4)

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