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[コメント] 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド(2015/日)

 私は本作を全く評価する気もない。た だ し 、その“技術”だ け は愛おしく思う。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 この夏最大の話題作と言われた実写版『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』だったが、前評判が凄かった割りに、実際に観た人達はほとんど口をつぐむという不思議な作品になってしまった。そんなことで、あれだけ騒がれた前編に比べ、ひっそりと公開されることになった後編。

 まあなんというか、一応後編を観てから評価を下そうと思ってはいたが、いざ書くとなると、何も書く気力が起きないという、なんだか本当に不思議な作品でもある。

 「ああこうなったのね」「ああこういう決着付けるのね」「ああ終わったね」。基本的に本作はこれだけでもう全部言い尽くせてしまう。

 本来重要なはずの謎が全く謎になってなかったし、そのくせ肝心な説明は全部省いてしまう。

 物語に興奮できないのに「どうだ!」と、どんでん返しっぽい演出やられても「ああそうですか」で終わってしまう。いろんな意味でツッコミどころは満載のくせにツッコミ入れる気力すら失わせてくれる。

 強いて言うなら、脚本には『SW』以前に作られたSF映画に対する思い入れは感じ取れたが、その思い入れが悪い方向に出てしまったとは言え、掛け値なく「しょーもない作品」としか言いようがない。

 本作の場合、脚本だけがまずかったと言う言い訳は出来る。その脚本にせよ、これだけ様々なものを取り入れようとしたら破綻しても仕方ないし、その中で頑張った作品とも言えなくもない。

 巨人と人間の戦いとして、巨人による一方的な蹂躙と捕食。油断している人に襲いかかる絶望感。巨人を狙い撃ちする人類の知恵。巨人同士の戦い。絶望的状況でそれでも戦い続ける人類の意志。それらを全部入れてしまうと、演出面ばかりが先行してしまい、肝心な脚本を深めることが出来なかった。

 それを言い訳にすることは可能だ。

 そして、本来瞑ってはいけないことだが、それら全てに目を瞑り、特撮だけに焦点を当ててみたい。

 日本映画の一大ジャンルであり、世界に誇るべき重要なもの。特撮映画。故円谷英二らによって戦時中から工夫に工夫を重ね、様々な映画で積み重ねてきた特撮技術。日本映画を語る上で、これを外すわけにはいかない。

 だが、その技術の継承はもうほぼ廃れてしまった。なんせ後継者がいないのだ。これだけ技術と研鑽を重ねてきた特撮技術は、CGの発達によってあっという間に駆逐されてしまった。勿論無くなるわけではないが、最早これを専門にする人は数少なく、その弟子もいない。そんな中、樋口真嗣監督は日本特撮の未来を背負って立つ存在である。その自負もあってのことだろうが、本作は徹底して手作り特撮にこだわっている。

 巨人の造形はCGではなく、基本的に着ぐるみかメイクを施した人を用い、CGよりも光学合成を主体に一つ一つのシーンを工夫によって作っている。正直、それを観てるだけで本当に嬉しい気持ちにさせられる。一コマ一コマが技術の結晶であり、「一体どうやって撮ってるんだ?」とワクワクさせてくれるものを持っている。

 巨人同士の格闘は『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のオマージュのみならず、いかにして新しい演出を作り上げるかを考え抜いたものだった。

 そして何より、人間と巨人の戦いは、その縮尺をどう使うかをしっかり考えて作られているのが素晴らしい。元来怪獣映画は同サイズの怪獣同士の戦いが主体で、人間は怪獣によって駆逐されるだけの存在でしかなかった。だから人間と怪獣が戦うシーンはなかなか難しいものがある。CGを使えば済むところを、敢えて手作り特撮にこだわり、巨人の巨大感と、それに立ち向かう人間の勇ましさを“特撮で”描いてくれたことを賞賛しよう。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)小紫 ロボトミー

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