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[コメント] シビル・ウォー キャプテン・アメリカ(2016/米)

確かに本作の爽快感は低く、不完全燃焼にも感じる部分はある。ただ、「ヒーローのあり方とは?」というヒーロー論を本当に突き詰めて考えている為、これまでのヒーロー作品の中でも最も骨太な内容を持ったものでもある。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 本作の最も優れた点は何かと言えば、「正義とは何か?」という所に踏み込んでいったことである。

 超人集団であるアベンジャーズは、正義の使者として自らを律している。「ヒーローは、ヒーローになった時から小市民の幸せは捨てる。基本中の基本」。彼らは自分を捨てて地球の平和のために働いているが、その守り方は徐々にメンバーの中で分かれていった。

 自らが正義の執行者であると律し、あくまでその観点から自分たちの自由にさせて欲しいというのがスティーヴ=キャプテン・アメリカの主張であり、一方強大な力を自分たちだけで使役することに躊躇を覚え、もっと世界の理解を得なければならないと考えるのがトニー=アイアンマンの主張である。

 この二つの主張にはいくつかの優劣点がある。

 前者の考え方であれば、最も効率が良い正義の執行機関になる。そしてそれがこれまでのアベンジャーズの立場でもあった。だがこれは完全に自らを律するという鋼の精神と、極めつけのバランス感覚を必要とする。基本的に人の争いというのは、一概に善悪を定めることが出来ない。争いの大部分は双方に理があるものだ。それを一方的にどちらかを悪と決めつけることは極めて危険だ。

 一方後者の考えはとても効率が悪い。会議によって出動が決まるとなれば、一瞬を争う事態に後れを取ることになるし、会議は利害関係が絡む為、純粋な意味での“正義”ではなくなることもある。しかし一方、強大な力を持つ軍隊的組織がなんの制約もなく動き回るならば、その存在そのものを地球の危機と見られかねない。

 これは実は世界の縮図でもある。冷戦後、世界唯一の軍事大国となったアメリカと国連の関係ともオーバーラップされる。

 リアルな世界ではこれはバランスの問題なのだが、劇中では二者択一を強いられる事になる。どちらか一方を必ず選ばねばならないという究極の選択が眼前にあるのだ。様々な要素が入り込む現実世界ではなく、ヴィランたちによって常に狙われ続けている世界においてはこれは切実で、一刻も早く決めねばならない事態となっている。

 ここにおいてキャプテン・アメリカとアイアンマンの間に齟齬が生じる訳だが、ここで面白いのが二人の主張が、そもそも彼らの出自からすると交錯しているのだ。

 アイアンマンは『アイアンマン』(2008)を観て分かるとおり、トニーは自分自身で世界を背負って立つという意識において自らの力を誇示するかのようにアイアンマンスーツを着込む。一方のキャプテンは『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)において、アメリカという国を守る為、軍隊の一員として生み出された。

 この時点で考えるならば、スティーヴの立場は、軍という組織に従うことを是としており、一方のトニーは何より独立を重要視した。

 彼らはやがてS.H.I.E.L.D.という組織を仲立ちとして『アベンジャーズ』(2012)で結びつき合う。一人で戦う事の限界を感じていたトニーと、変わり果てた世界の中、自分の正義を愛する心こそが必要であると信じるようになったスティーヴの二人の主張はここで重なった。

 そして更に時が過ぎ、幾多の戦いをへた上で、二人の主張は全く逆の立場へと移行していった。

 二人は戦いの中で自らの身の置き方を真剣に考え、成長を経てこの立場を取るようになったのだが、結果として真逆の立場を取ってしまう。しかも二人ともかつては全く逆の主張をしていたというのが皮肉。

 これこそが本作の最大の面白さであり、皮肉である。

 その答えは出ないままだが、これは答えを出してしまってはいけない問題でもある。本作の最大の特徴は、それを観ている側にも問いかけていると言う点にある。 

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ロープブレーク[*]

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