[コメント] ジーザス・クライスト・スーパースター(1973/米)
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1970年代はカウンターカルチャーの時代。それまでの伝統と呼ばれるもの全てに疑問を抱き、それを再構築するのがとても流行ったというか、伝統の破壊こそが新しい時代を作ると本気で思っていた人たちが多かったという時代である。
そんな時代だけに、当然宗教にもその目は向けられ、それまで聖なる人物で、人間として描いてはいけないと思われた人物も再評価されることとなる。その流れで神の子とされるイエス・キリストを完全に人間として描いたらどうなる?というコンセプトの元に作られたのがオリジナルの舞台劇となる。
ここで描かれるジーザスは、人から求められればなんでもやってしまうという気の良い一介の青年に過ぎないが、ちょっと人と異なる癒やしの力を持っていたために教祖様に祭り上げられてしまうという存在。純粋に人を愛する普通の人間なので、人からちやほやされるのは楽しいし、何より人の役に立っているという実感が嬉しいという単純な人物である。これまでの聖書の描写や、映像とは一線を画するイエス像をここに出してみせた。
そしてそれと対比して、大きくなっていく教団を何とか運営していこうとする実務担当としてのジュダという存在をクローズアップしてその対比に持って行ったのが面白い。
二人はお互いを認め合っているのだが、ジーザスのお気楽な性格に、だんだん苛ついてきて、ついに我慢できなくなってしまうと言うジュダの心の方が重要になってる。
これまで決して描けなかった、純粋に人間としてのイエスを描いてみたことは画期的だが、それが全て70年代のカウンターカルチャー世代の価値観というのも特徴的だろう。
これまでの伝統を押しつける社会を窮屈なものとして、そこから脱却を図るのがカウンターカルチャーならば、まさしく2000年前のイエスの行動こそがカウンターカルチャーそのもである。イエス・キリストを革命家として描いているからこそ、本作は一貫した部分があり、それがこの時代に受けた要素となったのだろう。
だからこの画面に登場するイエスやユダは2000年前の人物では無い。まさしく今、この世界で活動している革命家の姿なのだ。
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