[コメント] バーフバリ 王の凱旋(2017/インド)
映画を見終った人むけのレビューです。
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本作の凄さは前作のレビューで既に語った。演出のパワーとかに圧倒されてしまうが、ストーリーフローそのものは極めてフォーマットに従った英雄伝説で語られているのが特徴である。
それだったら別段舞台がインドである必要は無い。北欧だろうがギリシアだろうが中東だろうが中国や日本であってもフォーマット的な作品はたくさん存在する。
だが、本作がインドで作られていると言うことの個性は確かに存在する。そしてその個性があるからこそ、本作は本当に素晴らしい作品となる。
では、その「素晴らしい」部分とは何かと言うと、「誓いを守る」という部分と言おう。
この「誓いを守る」というのが作品全体を通してきちんと機能しているからこそ、強烈な個性を持つのだ。
前作ではあまりそのことが強調されなかったのだが(むしろ敢えて「誓いを避ける」ことで誓いの重要性を増させてたような気がする)、続編となる本作では最初から最後まで徹底して誓いに縛られる人間達が描かれていく。
前作の冒頭に現れた女性シヴァガミは、実はマヒシュマティ王国の最高権力者であったということが分かるが、彼女は自分の息子に対して大きな愛情を持っていたが、それ以上に国を愛していたし、国のためなら自分の命も息子達の命さえもささげて構わないとさえ思っていた。
それは国に対して責任を持っていたと言うことだが、その責任とは、神に国を守ることを誓っていたということから来る。彼女にとって、その誓いは何よりも重要であり、命を賭けてこれを守らねばならなかった。誓いを守るためには命をも捨てるほど。
一方アマレンドラの誓いとは、妻となるデーヴァセーナを守るというものだった。彼女に誓った「彼女を守る」という誓いはアマレンドラにとっては他の何をに犠牲してでも守らねばならない神聖なものだったのだ。
シヴァガミの誓いとアマレンドラの誓いは何も無い状態であればぶつかる事は無いはずである。だが誓いの矛盾を義兄であるバラーラデーヴァに利用され、シヴァガミとアマレンドラの立てた誓いとぶつかり合う。そしてその対立によってアマレンドラは王となれず、殺される結果となった。更にここに奴隷剣士のカッタッパの誓いも絡む。最強と言われても奴隷であるカッタッパは国に対して忠誠を誓っており、最高権力者である王の命令は絶対である。その結果、親友とも息子とも言えるアマレンドラを殺さねばならなかった。
誓いと誓いがぶつかった結果の大いなる悲劇がここに完成した。
それは悲劇には違いない。しかし、合理的な考え方や愛情よりも誓いを優先することの方が重要だった。
それが本作の最も大きな個性となっている。
そもそも現代の映画で、主人公が誓いを立ててそれを守るという描写がどれだけあるかと考えてみると、ほとんど無い。少なくとも、何らかの介在物があって、それを守るため、もしくは強制的に誓いを立てさせられることはある。だが基本的に世界的なメジャーな映画路線では、誓いとは心の中だけにあるもので、人の前で立てるものではないという認識で映画が作られている。
近代の映画史において、既に無いものとされていた“誓い”に焦点を当て、それを中心にした本作。全く新しい視点でとても新鮮な思いを抱かせてくれた。ある種感動である。
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