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[コメント] アベンジャーズ インフィニティ・ウォー(2018/米)

目もくらむばかりの豪華な俳優陣。その中心にいるのがジョシュ・ブローリンという事実がなんか不思議に思えてしまう。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ソニーの『スパイダーマン』(2002)の大ヒットと、いくつかのヒーロー作品の失敗を経て、パラマウントが投入した『アイアンマン』(2008)から10年。マーベルヒーローを次々に取り込み、いつしかMCU(マーベル・シネマティック・ユニヴァース)と呼ばれるようになったシリーズ。調べてみると、本作でなんと19本目に当たる。そして本作と次作の前後編を集大成作品とするために作られた。

 本作はその総決算となるため、登場するヒーローの数は半端じゃないし、その大部分が単独でシリーズを持つヒーロー達である。とんでもなく豪華な作品が登場した。

 本国アメリカは元より世界中でオープニング成績トップ記録を塗り替えたというのも頷けることで(ちなみに日本では『名探偵コナン』とぶつかって敗北してる)、それだけヒーロー達が認知されていると言う事になるのだろう。

 出来自体もかなり上手い。

 当初この企画を知った時は、ヒーローがごちゃごちゃ出過ぎるために収拾が付かなくなるのではないか?とも思っていたが、思っていた以上にすっきりまとめあげ、驚くほどの完成度を持つ作品に仕上がっている。

 何故本作ではこんなにバラバラのヒーローが出てきているのにバランス良く仕上がっているのかと考えると、それは“中心”がぶれてないからだと思う。

 ではその“中心”とは何かというと、それは本作に登場する全てのヒーロー達を束ね、中心となる人物がいると言うことになる。他でもない。最大のヴィランであるサノスである。

 最初の『アベンジャーズ』(2012)以降、これまでの作品で度々顔を見せていたサノスだが、これまではあくまで顔を見せただけで、理由は語られないが、インフィニティ・ストーンを集めているとだけ示されてきた。

 本作では、何故サノスがインフィニティ・ストーンを集めているのかの目的が明らかにされ、それを手に入れるまでの努力も映画内で描かれていく。

 これを見て思うのは、これだけ数多くの主人公クラスのヒーローがいて、実はヴィランであるサノスこそが本作の本当の主人公であったと言う事である。

 敵役であり悪人が主人公になると言うのは妙な話だが、それが可能なのは、サノスが純粋に使命感に突き動かされているからだ。

 サノスの目的の中には自分自身が良い思いをしたいとか、究極の力を手に入れて宇宙に君臨したいとかいう部分が全くない。彼がしようとしていることは、全宇宙の秩序を守ることであり、その意味ではこの世界を愛する純粋な善意から出ているのだ。

 更にサノス自身、これによって起こる犠牲についても認識している。宇宙の半分の生命体を消し去る。これしか宇宙を救う手立てがないなら、自分が悪人となり、全ての咎を引き受けるという覚悟をもって行動しているのだ。

 彼の目的は無私で崇高なものであるためにどんな汚れ役を引き受けても、その行動自体はヒーローのものとなんら変わりが無い。サノス自身その責任の重責を感じているカットや、そのために本当に愛する者を犠牲にしなければならない時、心で泣いている。それでもその涙を飲んで世界のために働くのだ。

 だからこそ、サノスを主人公とした物語を作ることが出来る。

 明確な主人公を中心に据えているために、あれだけたくさんのヒーローが登場しているとしても、きちんとバランスの取れた物語となっているわけだ。

 ただし、どれほど崇高な任務を帯びていたとしても、ここでサノスは明確に悪の側に立っていると言う点が重要なポイントである。

 彼が宇宙の平和を求めていることは確かだし、行っていることは正しい。しかし彼はあくまで悪人である。

 何故なら、どんなに正しい事であったとしても、命を奪うことを目的としている以上、それはどんな理由を付けようとも正義にはならないから。

 これは実はハリウッド映画の根本的な思想でもあるのだ。

 ハリウッド映画での善悪は突き詰めるととても単純である。

 即ちそれは、「自由を奪うものは悪」であり、「自由を守るものが善」だから。

 アメリカという国は元々植民地だったところを独立することで国として成り立ったという経緯があるため、上から押しつけられたものに反発すると言う事を基本概念として持っている。やがてそれは、「個人の自由を侵すもの」を悪とすることをコンセンサスとして持つようになった。それは例えば圧政を敷く独裁者であったり、全体主義を標榜する者であったり、もっと単純に、無抵抗な者を殺すような者だったり。どれも個人の自由の領域を侵す存在である。

 そのような前提があるため、どんな立派な題目を唱えようとも、それが政治的に見て正義であろうとも、「誰かの自由を侵す」ならば、それは「悪」になるのだ。

 だからヒーローの定義も自ずと明らかになる。「自由を侵す者」のアンチテーゼとして、「自由を守る者」は必然的に「善」になるのだ。

 だから本作は、明らかにサノスを中心にしていながら、はっきりその「悪」と戦うヒーロー達こそが「善」であり、「正義」であるということを明確に出来ている。彼らは確かにこの作品では有象無象の存在でしかない。しかし、はっきり全員が「自由の戦士」であるからこそ、バランスが取れた物語になっているのだ。

 本作終了時点では、圧倒的な力を持つサノスが全てを手に入れ、全宇宙にバランスをもたらした。

 だがそれは同時にこの世界ははっきり「悪」に染まったと言う事でもある。

 この「悪」を逆転して「善」即ち全ての人たちに自由をもたらすような結果が次回作でもたらされるだろう。それを楽しみに待つことにしよう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)死ぬまでシネマ[*] ロープブレーク[*]

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