[コメント] GODZILLA 星を喰う者(2018/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
わたしの中にも、本作を評価したい部分と、否定したい部分の二つがある。
まず評価すべき部分というのは、これまでの特撮怪獣映画の定式を正面から否定してみせたこと。
ゴジラという存在を概念化して考えたことは面白い。
ゴジラの名前を英語にすると、その文字の中に「God」を内包する。
そこから出発。ゴジラは単なる生物ではなく、生物を超え神の如き存在として君臨するというところから始まる。
ゴジラは人類の敵には違いないが、地球にとっては実は人類とはゴジラを生み出すための存在であり、実は地球そのものの存在理由もゴジラを生み出すためにあったとする。いわば地球は怪獣の卵で、その卵から孵ったゴジラこそが地球を継ぐ存在である。
この壮大な設定は大昔のSFを彷彿とさせ、オールドSF小説ファンにとっては、頬が緩むこと請け合い。ほぼまんまクラークの「幼年期の終わり」や筒井康隆の「幻想の未来」につながるものだし、その運命にあらがう人類の代表となるという悲壮感も良い。人間が地球を支配していた気になっていたが、実はそれが幻想だったという考えも、「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」っぽさがあって良いぞ。
その上で宇宙怪獣との戦いというのがあるのも更にスケールが大きくなる。地球にとっての目的は、最強生物としてのGodを作り出すことにあったが、宇宙規模になると、それさえも捕食対象という虚しさがある。
怪獣映画でこんなにペシミスティックなものを見せられるとは思ってなかったし、わたしはこういうのが大好きだ。
その意味で「脱怪獣映画」という意味において、本作は大変ユニークな立ち位置にあって、SF映画として考えるならば、かなり力の入った作品と言える。
ただ、一方で怪獣映画として本作を考えるならば、残念な出来となったとしか言いようがない。
怪獣映画、特に怪獣同士の戦いがメインとなるならば、期待するのは二大怪獣の正面からのぶつかり合いであり、ひたすらの格闘の末、どちらが勝者になるのか?という期待だった。ただ、それは完全に肩すかしを食ってしまったために観ていてストレスが溜まるだけ。
当初の期待は、ゴジラ対キングギドラで、そこにモスラがどのように絡んでいくのか?というものだったのに、ギドラはギドラのまま、モスラは幻影のシルエットだけで、戦いは終始一方的に終わる。
なにより、なんでギドラで終わらせるんだ。俺が観たかったのはギドラではなくキングギドラなんだよ。
もっとカタルシスをよこせ。せっかく金出して3作も劇場で観たんだから、快感をよこしやがれ!という気分もあり。
SFファンと怪獣ファンの双方の目から見ると、そういう意味ではとてもアンバランスというか、褒めるべきところとけなすべきところがはっきりしたものと言える。
それになによりわたし自身がそのどちらでもあるために、落ち着かない気分にさせられっぱなしだった。
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