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[コメント] ファースト・マン(2019/米)

(物理的に)歴代最長のロード・ムービー。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 アポロ計画は人類初の科学的偉業ということもあってか、ドキュメンタリー、創作合わせて何作も映画が作られている(『アポロ18』(2011)なんてSF外伝的なものまであったが)。

 ただ、何故か初の月着陸を果たしたアポロ11号に関してはこれまでドキュメンタリーでは多数出ていたが、創作ではほとんど語られてない。

 その理由はいくつかあるのだろうけど、一つの理由としては、あまりに計画通りに成功してしまい、具体的なトラブルがなかったことがあったかと思われる。『アポロ13』(1995)は劇的だったので真っ先に映画になったのだろうけど、歴史的には重大事件でもドラマがないということが大きかったのではないかと思われる。

 そんなドラマ性の少ない作品に挑戦するのがチャゼル監督の面白いところだが、映画化に当たって大きな特徴を付けた。

 それはアポロ11号の月着陸はクライマックスに持って行くとして、それまでを明確にニール・アームストロングという主人公を立て、その伝記として映画を作ったのだ。

 このやり方は実に正しい。アポロ11号に関してはドラマ性が低くても、ニール・アームストロングという人物に焦点を当てるならば、きちんとドラマが作れる。

 アームストロングというのは真面目であんまり面白みのない人物だとかどこかで読んだ記憶があるが、この作品では、その面白みの無さは極端な理系思考のためと説明され、人間的な感情がない訳ではなく、単純にそれを表面に出しにくいだけとされる。

 私自身も相当極端な理系型という自負があるので、ここで描かれるアームストロングにはだいぶ近親感が湧いてしまい、これだけで嬉しくなってしまった。

 そして本作は個人を負ったことでもう一つ重要な付加要素を付けることが出来た。

 アポロ計画は元々ケネディ大統領が月に人を送ることをぶち上げたことから始まったが、それはソ連に対する対抗意識による国家プロジェクトだった。国家が後押しをして行っただけあって、技術と科学の粋を結集し、更に莫大な国家予算を投入して成功させたプロジェクトである。

 こう言う経緯がある以上、普通に作るならば偉大なるアメリカを称えるとか、科学万歳の内容になりかねない。

 ところがチャゼル監督はそれを良しとしなかった。仮にこの事実が冷戦期のプロパガンダであったとしても、そんなものを映画にしてやるか!という姿勢がはっきり現れている。むしろ国家プロジェクトだからこそ、体制を描かずにどう故人に落とし込むかという監督の挑戦のようにも見える。

 『ラ・ラ・ランド』の時に思ったのだが、チャゼル監督って、とにかく本当に映画が好きなんだろうと思う。その中に「映画とはかくあるべし」という核のようなものがあり、それが至上命題になっているようだ。

 その核の一つが「映画はリベラリズムで作らねばならない」というのがあるのだと思う。

 権力から強要されたりプロパガンダに利用されたりしない、自由な解釈で作り上げる映画こそ本当の意味ある映画。70年代のニューシネマの辺りから始まったこの考えは今も脈々と映画人の中で受け継がれている。

 そしてチャゼルはそれを証明してやろうという姿勢で臨んだのではなかろうか?

 国家プロジェクトでありプロパガンダである事実を、あくまで個人の物語に落とし込んだことで、しっかりリベラリズムを表現した。これは監督にとって大きな挑戦だったのだ。

 映画好きにとって、この監督の姿勢は身を正される気分にさせられる。

 ここもまた素晴らしいものだ。

 チャゼル監督の映画好きというのから考えるなら更に一点。

 本作はこんなメカメカしい設定を持ちながら、実はきちんとロードムービーの定式に則ってるのだ。

 ロードムービーはハリウッドではれっきとした一つのジャンルだが、基本これは世間との折り合いが悪く、自分自身を憎むような主人公が旅の中で様々な経験を積むことによって、自分自身を受け入れていくというもの。

 本作のニール・アームストロングはまさしくその定式に則り、最後に自分自身を赦すことで安息を得ている。

 で、改めて考えてみると、本作はこれまで作られたあらゆる作品よりも遠い場所まで旅をしている。

 すると本作は(SFを除けば)、映画史上最も長い距離を旅したロードムービーとして考える事が出来る。

 …ほぼ間違いなく、監督はそれを意識してる。映画好きだからこそ出来るちょっとした付加要素である。

 ただ、作品として評価するなら、当然ながら本作は演出の素晴らしさこそを言うべきだろう。とにかく「凄い」の一言。

 何が凄いって、映画館の椅子に座ってながら、「揺れ」を感じるのだ。横揺れと縦揺れ、挙げ句に無重力状態に放り込まれてしまった感じ。ここまで感覚が同調出来た作品なんてそうそうはない。宇宙を演出したものでは、本作の演出に比肩出来るのは『ゼロ・グラビティ』(2013)くらいだろう。

 それはオープニングのロケットエンジンのテストでも表されている。ニールの操縦する機体は成層圏にまで達するが、その際にとんでもない横揺れが描写される。映画の最初からガタガタに震える画面を見せつけられるのだが、その音と映像に、「とんでもないところに来てしまった」と思わせられ、以降ぐいぐい引き込まれるし(余談だが、このシーンでテスト機が空気の壁に邪魔されてバウンドしたというのは、当時のハードSF小説を読んだ身にすると、その描写だけで「よくやってくれた!」と叫びたいほど)、地上での静かすぎる生活と、テストの際の騒音や危険さなど、緩急の付け方が見事にはまる。

 緩急の描写が全般的に素敵すぎる。

 そして何より“生”の実感。このCGの時代に、実際に宇宙船の模型に触れている感触が伝わるようなこの描写能力。監督が本当にこだわった部分が分かってこれもまた嬉しい。

 チャゼル監督がCGではなく特撮を大切にする姿勢は、この人のシネフィルぶりを証するものだが、たぶんノーラン監督の『インターステラー』(2014)を観て、「これだ!」と思ったんじゃないかな?やっぱりCGではなく模型の感触は違った味わいがあるから。

 ほぼ全体を通して、映画的快感に溢れまくった作品だし、劇場でその快感に身をゆだね、映像美に酔いしれる貴重な時間をくれたことに、本作には本当に感謝したい。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)irodori Orpheus[*]

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