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[コメント] パラサイト 半地下の家族(2019/韓国)

徹底的に真面目に作ったB級作品。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ポン・ジュノ監督の作品を観ていて、気づいたことがある。

 この監督が好む題材は、いわゆるB級作品と呼ばれるものが多いのだ。グエムル -漢江の怪物-は怪獣映画だし、母なる証明は強烈なオチの部分を強調するための、ほぼワンアイディア作品である。

 こう言うB級作品は低予算で作るのが普通である。何故なら撮影の安っぽさが逆に良い演出になるから。なまじ金を掛けると演出過剰になったりして逆に痛々しいものになるものってこれまでいくらでもある。それで失敗した作品で溢れてる。

 しかるに本作はどうだろうか?

 作品としてはとてもシンプルである。貧乏な一家がチャンスに飛びつき、金持ち一家を騙して取り入り、家族ぐるみで寄生するというパターン。骨子は本当にシンプルそのものだ。

 こういうシンプルな作品は予算をあまり掛けない方がソリッドなものができるものだ。家とかもありもので良いし、実際に人が住んでいる家を撮影した方がリアリティが出る。

 ところが本作はそこに手を抜かなかった。一流の役者を割り振り徹底的に金を掛けてセットを組んで、とても豪華な映画を作り上げてしまった。

 それでバランスが悪くなったのかというと全く逆。これだけの金を掛けて作るだけの強度を持ったものとして仕上げてくれた。まさかここまでのものができるとは予想外。

 考えてみたらポン・ジュノ監督作品のグエムル -漢江の怪物-も母なる証明もそもそもが低予算向きの作品だったのを、ほぼ全力で金を使って作り上げていた。これらの経験からバランス感覚を培ってきたのだろう。本作はその結晶とも言えるだろう。

 本来安っぽい設定を、どのようにして豪華に仕上げるのか。その事を少々考えてみたい。

 まず一つに役者の演技の質があるだろう。低予算の作品は役者の魅力を最大限に引き出すことができるが、一方では一人の演技者にすべてを負わせることで危ないバランスの上に作品が作られることになる。だが大作ではそれはやるべきではない。だから本作のキャラは全員きちんとコントロールされた演技をしている。いろんな伏線を動作に出すことができるし、誰かが突出して目立つことがないため物語全体のパーツとしてしっかりはまっている。

 もう一点重要なのは、本作は完全に娯楽作品なのに、社会背景がはっきりしているという点である。どこかの時代どこかの国の出来事ではない。2010年代も終わろうとしている韓国社会の今の現実を描いていると言うことである。

 本作のタイトルにもなっているけど、半地下という不思議な家の構造がある。これは韓国ソウルに特有の部屋で、調べてみるとソウルの建物の2%ほどにはこれが付いているそうだ。何故こんな不思議な構造の部屋があるのかというと、これは歴史的背景がある。

 実は朝鮮戦争で一度ソウルは北朝鮮によって火の海になったことがあった。その時はアメリカの助力で押し返すことはできたもののいつ再び韓国が戦乱に巻き込まれないとも限らないため、当時の朴正煕大統領は1970年に建築法を改正して、それぞれの家に防空壕の役割を果たす地下施設を作ることとなった。本来なら完全な地下室を作る方が良いのだろうが、金がかかるため、建築法上許されていた安価な半地下を作ることとなった(物語後半にこの地下室の構造が重要になっているのは観れば分かるとおり)。

 その後戦争状態も遠くなり、経済発展を果たした韓国にとって必要性の薄くなった半地下だが、それを安価な賃貸物件として扱うようになり、そこを借りて住む世帯が出てくるようになった。「半地下」とは貧乏人を意味する暗喩にもなっている。

 本作は朝鮮戦争からの流れを受けてという歴史的背景がしっかりしているから、歴史を踏まえた上で「今」の物語としてはっきり受け止められる。

 そして現在の韓国の大問題となる格差社会についてもはっきり言及している。特にソン・ガンホ演じる父親ギテクが本当に見事に今を言い当てている。

 運転手として起用された時に雇い主のパクに運転の上手さを言われる位なので、器用だし仕事もできる人物に思える。ああ見えて家族をきっちりまとめているので、ちゃんと仕事さえあれば立派な一家の大黒柱となっていたはずの人物なのだ。だが、どんな能力を持っていたとしても、それで努力することを放棄している。息子のギウが底辺から這い上がろうとしているのを否定はしないものの、言葉の端々にこの世界で生きる事の無意味さをにじませている。

 多分彼はこれまでいろんな努力をしてきたんだろうと思う。その度ごとにへこまされてきてこんな風になった。でも自暴自棄にはなってない。かなりギリギリのところで踏みとどまっている人物である。

 それだけ今の韓国は格差が広がってしまったという事を示している。そしてこの格差社会は韓国だけでなく日本でも、世界でも広がっている。ギテクの厭世的な台詞は全部世界の貧困社会の人々の言葉に通じるのだ。

 これを下敷きにすると、ギテクが最後に行った行動が分かってくる。彼は理不尽に長年さらされ、それをただ無感動に受け流すだけの人生を強いられてきた。一見超然としているその姿はほとんど全てを諦めてしまった姿でもあるのだ。だがそんな彼にとって自分の家族だけは最後の感情の拠り所だった。その家族がないがしろにされていると感じた瞬間、これまで押さえつけていた全ての感情が吹き出してきてしまったということになる。やっていることは凶行だが、彼が人間性を取り戻す話でもあったのだ。

 ある意味で、閉塞的な韓国社会と伝統的な儒教的価値観のぶつかり合いを描くものでもあるし、もう社会は我慢の限界に来ているというメッセージとも取れる。ある種同じくオスカーを争ったジョーカー(2019)と通じるテーマがある。

 本作が世界的に受け入れられる理由とは、まさしく世界を覆う閉塞感を描く作品だからで、最も今の時代に即した作品だからとも言える。

 ジョーカーの時も感じたが、本作のメッセージはネットワーク(1976)と同じである。すなわち、「私は怒っている。もう我慢しない」というメッセージそのもの。本作は実はとても危険な作品なのかも知れない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)jollyjoker[*] さず

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