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[コメント] 肉弾(1968/日)

戦争映画ではあっても、これは普遍的な青春なのかも。流石ATG。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 監督自らの体験を元に学徒兵を主人公とした青春物語で、かつて『独立愚連隊』や『血と砂』で戦争を見事に喜劇にしてのけた岡本喜八監督が、約10年の時を経て、新たに送り出した戦争映画。

 ただし今度の作品は、かのATGに舞台を移して。そのためか、大変な安普請作品に仕上げられてしまった。一応戦争映画といっても本作の場合は実際の戦闘シーンは皆無。それどころか敵の姿も一切なし。あるのは味方であるはずの当時の日本人のあからさまな姿と、しょぼくれた主人公の心情ばかりだった。安普請もいいところで、かつての『独立愚連隊』とは演出力においては雲泥の出来としか言いようがない…

 しかし、今にして思うに、実はそれこそが実は監督が本作で最も作りたかったことなのではなかろうか。

 戦争というイメージは、人それぞれだろうが、実際にその中に身を置いている人間にしては、それは瞬間の盛り上がりのためのひたすら長い忍耐の時間にほかならない。戦時における倦怠感こそが、実は戦争体験の最も大きなもの。戦争を描くに際し、これを主眼にすることが本作の着眼点であり、チャレンジだったのではなかったかとも思える。  本作で“あいつ”は、ひたすらただ待つだけの存在として描かれ、その待つと言う行為の中で、自分は何をなすべきか、何のために戦うのかと、それだけをひたすら思う姿が描かれることになる。見つけたと思った目的は容易に手をすり抜け、失われた目的を再び見つけようとあがき続ける。そしてその結果として得られたものは、やはり倦怠感でしかない。なんとも寂しく、しょぼくれた青春であることか。

 その中で出会った人々は、ある者は自分の考えをとうとうと説いてみせたり、ある者は自暴自棄に陥りそうな自分自身を叱咤する人を求めている。どうしても忍び寄って来る倦怠感を忘れようとするかのように…

 そして“あいつ”は分かってくる。誰しも倦怠感と戦っていて、今自分がここにいることの根拠を求めようとしていることに。

 だからこそ、“あいつ”は最後の特攻要員とされたことを逆に喜んでいたようでもある。たとえそこに何の意味を認められずとも、それが他者のためであると思えることに存在意義を求められると思い…

 しかし“あいつ”に与えられたのは、更なる待機任務だった。それはますます気を滅入らせ、余計な思いを考えるためのように。

 そしてラスト。自分のしていたことは、本当に何も意味もなかったことを知らされた“あいつ”は、もう生きる気力さえ失っていく。あの屎尿船から切り離されたその時、むしろ彼は、これでようやく死ねると解放を感じたのかもしれない。最後のシーンはコメディと言うにはあまりに痛々しい姿ではあるが、あれはあれでようやく安らげる場所を見つけた特攻隊員の姿とも言えよう。

 しかし、思えば我々の青春ってやつも又彼の味わった戦争とどこが違うのか?いわゆる青春の日は、後になってみるとそれなりに充実を覚えたような気になるが、実際その渦中にいたときは、常に倦怠感と、面白い事が飛び込んでこないか?と待つだけの日々だった。大なり小なり誰しも抱えてる青春の悩みというものを、本作はそのまま戦争の中という特殊事情に置き換えてしまったのとも見られる。哀しくしょぼくれた、しかし、その中でほんの僅かな煌めきを大切に出来るような…

 いずれにせよ、“待つ”事しかできなかった男の行き着く先が本当に待つだけで終わってしまうと言う普遍的な皮肉を見事に捉えた名作だと言って良かろう。

(評価:★5)

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