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[コメント] 鉄塔武蔵野線(1997/日)

出来ることなら、こちらを観てから小説版を読みたかった。もっと素直に楽しめただろうと思える。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 小説版には驚かされた。これがファンタジーノベル?と言う定義はさておき、凄く楽しかったし、確かにジュブナイルとは異なった形でのファンタジーがそこには描かれていた。

 ところで私の田舎には「かつて東洋一」と称された鉄橋があり、そこでの遊びは楽しかった。川で魚取ったり、石のゴロゴロした川辺で三角ベースをやったり、時に鉄橋を見上げて、あそこを足で渡ってみたい(あるいは誰々が渡ったことがあるという噂)に花を咲かせたもんだ。身近にそう言う巨大なオブジェがあるというのは、一種の異空間に私(達)を誘いこんでくれるものだが、鉄塔とは思いつかなかった。確かにこれも巨大なオブジェであり、そう言う意味では凄く楽しいものだ。しかし、殆どこれまで意識したこともなかった。小説版のお陰で鉄塔に「男性型」と「女性型」なるものがあることを知ったし、蘊蓄も楽しかった。

 子供の見るそう言う特殊な建造物は探索の対象であると共に畏怖の対象でもあった。そんな思いが本当に溢れた作品だった。小説版の主役は、やはり鉄塔だったのだ。

 その後で本作を鑑賞。

 確かに物語は原作に沿ってるし、子役の伊藤淳史と内山眞人のコンビもノスタルジックな感じ。昔懐かしいクソガキっぽくてなかなかよろしい。

 でも、観てる内になんとなく違和感が…なんだろう?

 観終えて気が付いた。小説版は「鉄塔を追う」話だったのだが、映画版は「鉄塔を追う子供を追う」話に変わっていたのだ。画面には鉄塔の巨大感はなく、むしろ二人の少年の目標として存在するオブジェになってた。「夏の一日の子供の姿を描く」ことでは成功してるが、「鉄塔を描く」演出はもうちょっと。と言ったところ。

 出来るはずだったんだよな。単にオブジェとしてではなく、本当に威圧感を持って覆い被さる、あたかも宗教的な存在である鉄塔を目標とするような、そんな姿を描くことが。

 尤も、物語としては良かったし、それになんだかご都合主義的な小説版の終わり方を、こんな風に持ってきたのは大正解。後に残る余韻がとても心地良い作品となった。 

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)sawa:38[*]

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