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[コメント] モスラ3・キングギドラ来襲(1998/日)

一作目とは異なり、ここには明確に“これがやりたい!”という想いが込められていました。ただし、想い以外はまるで受け取ることが出来ません。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 平成モスラ三部作の最終作品。これまであくまでサブキャラだったモスラを中心に持ってくることで、有終の美を飾ろうとした意気込みは買う。一作目の怪獣がわざわざ新怪獣であるデスギドラにしたのも、キングギドラは最後に持ってきたいという製作側の思いがあったからと思いたい。確かに本作は評価できる部分はある。

 ところで、長年のゴジラファンには一つの傾向がある。私の知っている範囲だから絶対にそうだとは言わないのだが、何故かゴジラファンを長くやってると、最強怪獣は?と聞かれた際、例外なく「キングギドラ!」と答えるのだ。それだけキングギドラはファンにとっては特別な存在であり、強力な悪のイメージを思い起こさせるのだろう(『ゴジラ FINAL WARS』(2004)で最後がカイザーギドラだったのは痛し痒し)。だから、この作品での圧倒的なキングギドラの強さを見せられてしまうと、ゴジラファンには、目が眩んでしまい、ついつい評価を上げたくなってしまう。キングギドラというネームバリューは、そこまでの力を持っているのだ。

 私も、実際これを観てる間は、気分的に高揚したし、評価もそれなりに高かった。しかし、改めて考えてみると…やっぱりこれはどうしようもない作品だというのが今の結論。

 エリアス三姉妹の関係の決着と、モスラの存在意義、そして最強の怪獣キングギドラの描写。設定部分での前提条件は大変良い方向に向かっている。それにドラマ部分も部分的には大変盛り上がっている。シリーズ一作目において希薄だった特撮に対する“想い”というものがここには確かに感じられた。

 ただし、その設定は、見事にちぐはぐ。要するに、全てにおいて、「これをやりたい」と言う思いだけでしかなく、必然性がまるで無いのだ。物語とドラマを全く練っていないため、ドラマ部分が単に部分的に熱いだけで、物語一貫とした必然性が感じられず、物語そのものに整合性もない。

 そう。本作は物語の部分があまりにも貧弱すぎるのだ。タイムスリップものは既に『ゴジラVSキングギドラ』(1991)という駄作でやられており、「このキングギドラもそうかよ!」。としか思えなかったし、根本的な問題として、何故“キングギドラは地球に来たのか”という問いがすっぱりと抜け落ちてる。あらゆる生物を破壊に来たというのならばそれで結構。で、何故子供をドームで囲い込まねばならないのか。更に白亜紀で尻尾だけで生き残っていたのが、何故わざわざ現代で復活しなければならないのか。過去でキングギドラが倒されたのなら、本来彼によって滅ぼされていたはずの恐竜が現代に残っていないのは何故か。白亜紀の時代にも(複数の)モスラがいたのならば、なんでキングギドラを放っておいたのか…殊キングギドラに絞ってもいくらでも出てくる。  他に、いくらなんでもこれは無かろう?という白亜紀の描写とか、何の理由も説明もなく突然に鎧モスラになるとかがあるが、一番の問題は、マジでどんな物語だったか、細部が思い出せないと言うくらいに印象が薄い物語だったという点だろう。

 何にせよ、スタッフはご苦労様。とだけは言っておこう。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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