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[コメント] 真夜中のカーボーイ(1969/米)

アメリカン・ドリームというものの実態。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『俺たちに明日はない』(1967)から始まり、『イージー・ライダー』(1969)での実験的手法が受け入れられるに至り、今度は物語性で現実を見据えようと言う形へとシフトしていった。本作はその試みが上手く機能した作品で、夢の都NYの下町の小汚い街並み。そしてそこにくすぶっている数多くの人間たち。現実から背を向け、享楽的な夜を過ごす若者の群れ…確かにこれまでの映画では触れる事を避けてきたものをことごとく取り込んでいる。

 本作ではアメリカン・ドリームと呼ばれるものの実態というか、夢だけを持って成功するわけではないという現実が痛烈に描かれることになるのだが、それはやはりヴェトナム戦争との関わりが考えられるだろう。

 これまでアメリカは「正義の戦争」を常に行ってきた。大義名分はいくらでも付けられるが、ぶっちゃけ、正義とは、「勝つ」ことだった。これまで近代戦争が起こって以来、様々な紛争にアメリカは首を突っ込んできたが、ことごとく勝ち馬に乗っかり、そして表面上、はっきりとした形で勝ってきたのである(表面上と書いたのは、実は第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じ、実はアメリカは本来的な意味での勝利を得ていないからである。いつかこの辺についてもどこかで書きたいと思ってる)。ところが、ヴェトナム戦争では勝ちが見えてこない。どこか他の国の戦争に首を突っ込んだ結果、勝ちの見えない戦争に突入してしまった。

 では、強いアメリカはどこにいるのか?

 どこにもいないのだ。あなた達が強い強いと幻想を持っていた世界は今やこんなものなのだ。それを見ろ。これが本作に込められたメッセージではないだろうか?

 思えば何故ジョーは常にカウボーイ姿なのか?と考えると、カウボーイ姿こそが「強いアメリカ」そのものの象徴だからだったのだろう。己の肉体(国力)の強さと女に持てる(同盟国)の豊富さを武器に都会(国際社会)に出たは良いけど、現実に自分のやってることは…そう考えると痛烈な皮肉とも感じられる。

 ちなみに本作を撮影したシュレンジャーはイギリス人監督である。その点を汲み置く必要があるだろう。他の国の監督だからこそ、こういう皮肉をしっかり乾いた描写で皮肉として撮影できたのだから(関係ないけど邦題は水野晴夫氏による。「カウボーイ」ではなく「カーボーイ」としたのは氏のアイディア)。だからアメリカ産映画でないという意味では、アメリカン・ニューシネマという分けでもないと思うのだが、その代表とも言われてるのがなんとも皮肉な話だ。

 本作の撮影に当たって重要な位置を示したのがダスティン=ホフマン。彼は2年前に『卒業』(1967)でメジャーとなったが、そのメランコリックな演技が好評を博し、次々と出演依頼が舞い込んだ。ところが、ホフマン自身『卒業』のイメージでとらわれてしまうことを嫌い、2年間全く他の映画に出演せず、低予算で製作された本作に全力投球。おかげで『卒業』のベンジャミンとは全く違った演技を見せつけてくれた(凝り方が戯画的すぎるとの評もあるが)。これによって演技の幅を印象づけることが出来たため、デビュー以来たった3年弱で大スターと称されるに至った。ホフマンにとっても賭けに近い作品だったと言うことになるだろう。

 他にこの作品はいくつかお遊びがあることでも知られており、特にホテルではなんとウルトラマンのワンシーンが映っている。特撮好きなら探してみるのも面白かろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)おーい粗茶[*] sawa:38[*] Myurakz[*]

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