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[コメント] サクリファイス(1986/スウェーデン=英=仏)

最後の最後、映画を作るために亡命までしたタルコフスキーが、自らを振り返って、本当になすべきことは何かを考えた結果として出来たのが本作なのかもしれない。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『ノスタルジア』同様亡命先で作られたタルコフスキー監督の遺作。相当オカルティックな話だが、ジャンルは多分SF。人類滅亡の日を前に、無神論者の主人公が神に祈るまでを象徴的な映像で綴る。

 本作のタイトルは「犠牲」だが、通して観ると、むしろ本作の主題は「覚悟」と言うべきなのかもしれない。

 それが何の覚悟なのか。

 多分それはこの作品の中においては、“誰にも理解されなくても、家族のために生きるため”の覚悟だろうし、映画全体を観るならば、“核の時代に生きる覚悟”とも言える。

 1980年代後半。まだ東西二大陣営が健在で、まだネットも普及していなかった時代。一般人にとってこの時代は、根底に不安感を抱えたまま生きていかざるを得なかった時代でもある。

 国際情勢は混迷を極めており、場合によっては今この瞬間に核戦争が起こっても不思議はない。情報は遮断され、お偉いさんはなにを考えているのか分からないし、一旦戦争が始まれば世界は終わり。

 そんな時代に生きていかざるをえない自分たち。

 そんな自分になにが出来るのか?家族を救うために、それがどんな愚かに見えようとも、自らの命まで含め、その他全てを投げ出す覚悟があるか?

 ここに現れているのは強烈なメッセージ性であり、視聴者に問いかけられているものは深い。

 主人公のアレクサンドルは無神論者で、命は生きてるものためだけのものと考えているのだが、そんな彼が本当の危機に直面した時に取った行動は本物の信仰者そのものの姿であり、そのために命まで捨てていく(ラストはその暗示だと思うんだけどね)。

 彼が見たのは単なる夢だったのかもしれないのだが、目が覚めて「これは夢だったのか。よかった」という夢オチにするのではなく、夢の中で自分が語ったこと、なしたことに対する責任をとろうとする態度は、本物の馬鹿だが、だからこそ胸を打つ。

(評価:★5)

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