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[コメント] 戦場のメリークリスマス(1983/英=日)

何故私はラストシーンで泣いてしまっただろう?未だ理由が分からないため、非常に困る。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 大島渚監督お得意の耽美的描写が最も冴えた作品。耽美と言うだけに、出てくるキャラは男ばかり。それで一応ちゃんとラブ・ロマンスの形を取っているのが凄いと言えば凄い。

 まあ、言うなればこれは坂本龍一という人物を得て初めて成り立った作品であり、坂本龍一をひたすら描いた作品でもある。それだけに殆ど全面的に「俺は坂本龍一だ!」的な登場の仕方をしているのが特徴と言えば特徴。

 古来戦場を経験する人間に男色家が多いことはよく知られている。その理由は色々とあるだろう。戦場において、“女の代用品”として男を抱き、それも性行為の一つの形として受け入れる場合。他には屈服させる喜びというものをより強く感じさせるから。と言うのもあるかも知れない。ただ、この場合はいわゆるバイであり、女も抱き、男も抱ける。と言う具合となる。

 この映画においても“女の代用品”として性行為が行われていた事がハラ(ビートたけし)によって語られている。だが、ヨノイ(坂本龍一)は殊更それに対し、厳しい態度で臨む。ヨノイは知っていたのだろう。自分の性癖が、決してバイではないことを。彼は純粋にゲイであり、それを自分自身で納得させることが出来なかった。愛情は男へと向かうが、それを否定しようとする努力は、結局殊更強く軍の規律を守ること、自らを律する方向へと向いていた。

 それ故、セリアズ(デヴィッド=ボウイ)の出現はヨノイにとって、あまりに衝撃的だった。彼自身の性癖が完全に露わにされてしまう危険性をセリアズは持っていたのだから。結局はその哀しみが彼自身を内面から破壊していく。その過程をいかにも大島渚らしい映像美で魅せることによって、不思議な映像を叩きつけた。

 耽美的な映像というのは、ある意味での“美”を端的に示すためには有効で、たとえ坂本龍一がどれほど大根であっても、撮り方によっては、充分美しい作品となる事を示してくれた(『ラスト・エンペラー』の時もそうだったけど、この人はとにかく言葉が不明瞭で、絶対声は吹き替えにすべきだと思う)。加えてあの音楽。あれ程に哀しく、美しい旋律は常人に出せるものではない。実際、ピアノを弾ける複数の知り合いは今でも時折これを弾いてるし…

 あくまで音楽家坂本龍一が世界に羽ばたく重要な作品となった映画となった。

 ところで当時私はYMOの大ファンであったが、その個人の性癖には何の関心も持っていなかった。それでこんな映像を叩きつけられたとあって、坂本龍一自身のパーソナリティに疑問を抱いたものだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ねこすけ ぱーこ[*] 太陽と戦慄[*] ハム[*] ina[*]

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