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[コメント] 空の大怪獣 ラドン(1956/日)

目の前にいるのに見えない!見事な演出だよ。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 長い事観るつもりはあったのだが、今頃になってようやくレンタルで観ることが出来た。

 先ず言っておく。これは良い作品だ。

 どうしても怪獣映画だとゴジラが一番最初に出るが、この当時の東宝怪獣作品は、次々に投入する怪獣映画に明確な方向性を持たせている事が本当によく分かる。

 ゴジラがまさしく圧倒的な天災というテーマを前面に出していたように、本作もやはりきちんとしたテーマが感じられる。

 本作の魅力をつれづれなるままに書いていこう。

 1.サスペンス仕立てである事:最初に坑員の喧嘩があった後、喧嘩した当人が殺されるシーンが出てくる。死体を見せるというのは東宝怪獣映画では珍しい事なのだが、それが特殊な感じを受けさせる。そして犯人は誰だ。と言う具合に持っていき、調査隊が水に引き込まれたりして、恐怖を演出する。そして出てくる怪獣!ホラー映画では定番の演出だが、この時代はまだ明確にホラー映画というジャンルは確立されていなかった事もあり、卓越した演出方法だった。

 2.順を追って事態を大きくしていく事:殺人事件→メガヌロンの登場。これにより、個人的怨嗟から事態は炭坑そのものへと拡大する。→落盤。人間に対し圧倒的な力を持つメガヌロンを封じ込めたのは人間の手によるものではなく、自然現象だった。だが、これで事態は更に大きく、阿蘇山そのものを巻き込んでいく。→謎の飛行物体登場。ここで舞台は日本の空へ。→外電を登場させる事により、世界的規模に拡大させる。更に河村の証言により、人間に退治する事が出来なかったメガヌロンは実はラドンの餌に過ぎないという事が分かり、ラドンの強さの演出も忘れてない。

 3.ラドンは飛べるという事:あまりに高速で飛行するため、最初は確認出来ないほどだが、これによってゴジラには無かったスピード感を演出する事が出来た。ラドンを負う戦闘機が橋の下をくぐると言う、特撮技術としては最高の演出も為されている事にも注目。博多に現れ破壊の限りを尽くす描写は東宝特撮陣の名人芸。吹き飛ぶ看板や屋根瓦(個人的に古いカルピスのマークが好きなので、それが出たのは嬉しい)の描写には感嘆の声を上げてしまった。

 4.ラドンは科学的に解明され、人間の手で退治された事:これにはやや残念なところもあるけど、圧倒的な火器力の前に、苦悶のまま息絶えていこうとするラドンの哀れさの演出は見事だった(最後に落ちるラドンの演出は過熱したピアノ線が切れた事による偶然の演出と言われている)

 私が思いつくだけでこれだけあるけど、何より私が評価したいのは、この映画は「見えない」という点を非常に強調しているという事。最初にまず殺人者が消えてしまう。一体どのような方法で喧嘩相手を殺し、どこに消えたか。と言うのが最初の物語の意味となる。その後、水に引き込まれてしまう調査隊は、水の中にいるメガヌロンが見えないからこそ、あの演出ができる。そして何より、ラドンは登場していて、画面上に存在しているというのに、見えない。あまりに飛翔速度が速すぎるのだ。

 メガヌロンであれ、ラドンであれ、登場人物達の目の前にいるのだ。それなのに全く別な方法で「見えない」事を演出している。恐怖映画の演出で一番大切なのはそこだ。そして怪獣を恐ろしく見せる方法としても有効な方法であった事をこの映画はしっかり示してくれた。

 ゴジラは、人にその姿を見せ付ける事で圧倒的存在感を演出していたが、ラドンは全くベクトルが逆。ラドンは人に姿を見せないからこそ、存在感を演出出来た。

 前半から中盤にかけての演出は本当に素晴らしかった。

 ただ、ここまで褒めまくっているけど、一つ残念な点もあった。

 惜しむらくは、ラドンは二体いた!と言う事をもう少し強くアピール出来ていれば。二体目がいたという意外性とか、その存在意義をもう少し強く演出する方法はいくつもあっただろうに。それが出来ていれば、本当に最高の作品と言えたのだが。

(評価:★4)

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