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[コメント] ローズマリーの赤ちゃん(1968/米)

ホラー性を無くしてもちゃんとオカルト作品は作れます。その好例…他にはほとんどありませんが。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 アイラ=レヴィンの同名小説をポランスキー監督が映画化した作品。ポランスキー監督は、オカルト作も好んで制作する一面がある。その大半は決して成功したとは言えないものの、その中では最も成功した、芸術的な冴えを見せたのが本作だった。

 いわゆるホラー作品とオカルト作品はかなりの部分でつながりを持っていて、純粋なオカルト作品はなかなか製作されないものだ。観客の求める部分が視覚的に来る怖さにあるため、雰囲気だけでじわじわとくる怖さを演出する作品はかなりの芸術的なセンスを必要とするため、なかなかお目にかかることが出来ない。しかし、それは不可能でないというこ事実を本作はよく示しているだろう。

 確かに面白い作品で、他にほとんどこの手の作品での良作が無いことから、映画史的に言っても希少価値のある作品と言えよう。

 ここに描かれている恐怖というのは、「自分はどこか間違った場所にいるのではないか?」という不安こそが本作の持ち味となっているのかと思える。主人公のファロー演じるローズマリーは、夫が成功すればするほど、隣人と親しくなればなるほど、そしてお腹の赤ちゃんが大きくなっていけばいくほど、不安を覚えていく。全てが快調のはずで、外面的には心配することなどなにもないはずなのに、拭いがたい不安がどんどん増していくことになる。外面的に確かに成功しているのだが、何か自分自身がここにいるのはおかしいのでは?と言う、疎外感が描かれているように思える。

 本作はこの点が味噌となっている。誰しもそう言う不安は持ってる。特に現代の我々は何者からの圧迫がある事が普通で、それがもし全て消えて、全てが快調になったとしたら、それは喜ぶよりもむしろ、逆に不安を感じるのが普通じゃないかと思う。そんな上手く行くはずはない。と言うのが先ず念頭にあるから、どうしてもそう言う幸運が信じられなくなってしまうものじゃないだろうか。現に私なんぞもいくつもの不安材料を抱え込み、これが全て解消されたらどんなに良いだろう。とか考える一方、もし本当にそうなってしまったら、怖くなってしまうだろうと言う予感もある。猿の手のお伽噺にもあるように、幸運とは、何かしらの代価を必要とする。と言う観念が私たちには強くあるのだから。

 その強迫観念を極端なまでに誇張したのが本作の特徴と言える。幸運が続く事は喜ばしいことなのだが、それが何故なのか分からない不安。更にその幸福というのは実は他者の不幸の上に成り立っていることを知る事や、幸福なはずの自分自身の体調がどんどんおかしくなっていくと言う事実。それらをひっくるめ、不安はどんどん増していくことになる。

 それには当然代価が支払われている。しかも彼女が全く思いもしなかった形で…まるでそれは、現実において私たちが漠然と感じる漠然とした不安の答えのように。

 それがこの作品の真なる恐怖なんじゃないだろうか?この作品は身近すぎるのだ。更にこの舞台が決して神秘的な場所ではなく、マンハッタンの真ん中という地理的な要因も重要だろう。

 それに、ここでのファローが実に上手い。まるで本当に精神に変調を来したかのような、鬼気迫る役を見事に演じきっていた(…いや、事実ファローはかなりの躁鬱的部分が強い人らしく、この作品の直前に、彼女のトレードマークとも言えた長い金髪を発作的にばっさりと切ってしまったとか。それが本作に存分に活かされているのが皮肉ではあるが)。

 そう考えると、ホラー性を抜きにしてオカルト作品を成功させると言うことは、いかにしてそれが観客自身とオーバーラップさせられるかと言う点にこそある(ある映画評論家の分析だが、『エクソシスト』が大成功したのも同じ理由で、あれはそれまで自分自身のコントロール下にあった子供が思春期を迎え、いきなりモンスターのようになってしまうと言う恐怖が描かれているからだとか)。それを見事に体現してくれたのが本作だと言える。

 それで「あいつの成功は悪魔に魂を売ったからに違いない」などと風評が立てられることはあるけど、それが本当だったと言うことで、ブラックジョークとも取ることが出来る。

 ちなみに、オカルト映画にはつきものの、怪談話みたいなのは本作にもある。まず2年前にフランク=シナトラと結婚していたファローは本作撮影中離婚の憂き目にあったのが一つだが、何と言っても、この作品の公開直後、ポランスキーと結婚して僅か一年の妻のシャロン=テイト(前作の『ロマン・ポランスキーの吸血鬼』(1967)が縁だった)がマンソン・ファミリーによって撃ち殺されるという悲惨な事件が起こってしまった。これらは別段神秘的なものではなく、あくまで人為的なものにせよ、やっぱり本作の呪いか?などと思えてしまう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)クワドラAS[*]

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