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[コメント] 第三の男(1949/英)

映画は時代の風潮を映すものだとはよく言われることだが、その中でも特に「この時代でしか作ることが出来なかった」あるいは「この時代に、この場所で作ったからこそ意味がある」という作品がある。本作はまさしくその筆頭だ。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ウィーン。かつてヨーロッパ随一の巨大な力を誇ったオーストリア帝国の首都。しかし、20世紀に入り、プロイセンにより強引に併合され、ドイツ連邦の一地方とされてしまい、第二次世界大戦後は連合国による介入を受け荒れた町並みとなっていた。

 そんな時代にこの映画が製作された。ウィーンは未だ戦後の混乱期にあり、復興のパワーがそこらかしこに溢れていつつ、所々では廃墟がそのまま残されているような時代だ。このような状況は日本にもあったが(まさに日本では同年に黒澤明監督による『野良犬』が製作されており、その違いを対比してみるのも面白い)、ただ、主にアメリカ一国によって統制された日本と違うのは、連合国の様々な国が分割して統制していたのがウィーンという町。こんな複雑な状況で映画を作ろうと考えたのが凄いと思う。撮影許可取るだけでも色々な国をまわることになってしまう。

 こんな混乱状況だからこそ、目端の利く人間はどんどん金儲けをし、力のないものは容赦なく切り捨てられていく。人間の命の値段が安くなった時代とも言えよう。昨夜大盤振る舞いしてた成金が今日はドブに骸(むくろ)をさらしてるなんて事が当たり前の時代。本作のハリーとは、まさにそのような目端の利く人間で、非合法なことも厭わずに商売して、成金となった人間だが、同時にそのやり方は色々なところで敵を作ることになる。非常に緊張感のある生き方をしていた人間だった。

 人間として非常に優れた存在であるハリー。しかし、本作の主人公はハリーではなかった。緊張感も、知性もあまり感じさせられないマーティンと言う大衆作家だと言うのが面白い。彼は確かに行動力もあるし、知性は無くとも勘が鋭く、潜伏中のハリーを見つけだしたのは、そんな彼だからこそだった。そんな対称的な二人が出会った時の緊張感のある観覧車のシーンは、圧倒的な演出と相まって、思い出すだけでもしばらくぼーっと出来るほどに美しい(プラター公園の大観覧車は映画を記念して今でも残されているそうだ)。

 キャラクターの描写も素晴らしい。と言うか、これだけでいくらでも書けそうなくらい。お調子者で実は文学のこともよく分かってないマーティンの間抜けな会話ぶりとか(インタビューで「一番好きな作家は?」と聞かれて、「ゼーン=グレイ」(西部小説の作家らしい)と答えるシーンは上手いつかみだった)、謎めいた雰囲気をまとわせ、現れた時に迫力を見せるハリーの描写も良かった。

 しかし、その中でも最高は何と言ってもアンナを演じるヴァリだろう。彼女は劇中、二人の男の間で揺れ動く。平凡で毒のないマーティンと、自分を破滅に導いてしまうかも知れない危険な男ハリー。自分が心底愛しているのはハリーのはずなのに、一緒に行動してるマーティンの情にほだされそうになる。その感情の移り変わりは見事と言うしかない。そしてあのラストシーン。悲しみを毅然とした表情に隠し、ただまっすぐ前だけ見て歩くアンナ。横にマーティンがいて、彼女が振り向くのを待ってるのを知っていながら(絶妙のタイミングでタバコに火を付けるのが良いんだ)、絶対に振り向かない。もしここで振り向いたら崩れ落ちてしまう。その方がどれほど楽だか、そしてそんな自分をマーティンは必ず受け止めてくれる。それを全て振り切って、必死に前だけを睨み付け、画面のこちら側に毅然としてやってくる態度。あの格好良さは私の中で「映画の中での最も格好良いシーン」の筆頭だよ。

 演出も冴えてる。ウィーンの石畳の上を滑るように移動する足音と影。照らし出されるライトによって長く伸びたり短くなったり陰影。ハリーがマーティンの前に現れる時、靴だけが映り、ネコが泣いたと思ったら、ハリーの顔が月明かりに照らされるその姿。観覧車をバックにした陰影の付け方…この撮影は本当に見事だった。撮影に関しては細かいところまで配慮が行き届いてる感じで、大満足の出来映えだった(撮影のロバート=クラスカーがオスカーを得たのは当然過ぎるほど当然だ)。それにシーン毎に被さる、アントン=カラスによる切ないチータの調べ。今でも聴くだけで情景が脳内にばーっと情景が甦ってくる。最も好きな映画映画音楽の一つだ。

 問題は本作のイメージがあまりにも強すぎたため、私のアリダ=ヴァリ評はどうしても下がらなくなってしまったと言うこと。たとえ『サスペリア』(1977)でのとんでもない役を演じていても、なんだか許せると思ってしまう自分が嫌だ(笑)

 本作はアメリカからコットン、ウェルズ、イタリアからヴァリ、イギリスからトレバー=ハワード、オーストリアからエルンスト=ドイッチュ、パウル=ヘルビガーが主演し、国際色豊に仕上がる。コットンが異邦人としての寂しさを好演。アメリカが主演を出し、イギリスが金を出すというのは今日とは逆のパターンだ。

 尚、本作で10万ドルか20万ドルの歩合給を取るかを問われたウェルズは10万ドルの方を取って『オーソン・ウェルズのオセロ』の製作費と税金返済にあてたそうだが、映画そのものが大ヒットしたため、後で大いに後悔したとか。

(評価:★5)

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