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[コメント] 駅馬車(1939/米)

「映画的リアリティとは何か?」「この作品を観て下さい!」
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 これは凄い。冒頭僅か10分ほどで紛れもなく本作は傑作だとを確信した。これほど見事なつかみを見せてくれるなんて、感動ものだった。本作を観るまでの認識は、単なるアクション主体の西部劇だとばかり思っていたが、決してそれだけで終わるものじゃない。むしろ本作はアクションではなく人間の描写が際だって優れた作品として見たい。

 本作には九人の主人公が出てくる。冒頭でそのうち七人が登場するのだが、その七人の描写が非常に際だっている。

 矯風会のおばさんから(またこれが目がつり上がって痩せぎすという典型的な)追い出される酒場女のダラス。宿を追い出され、文無しでありながら飄々と酒場に入り込んでただ酒にありつく医師のブーン。そのブーンと出会って、冒頭から間違って名前を呼ばれる気の弱いピーコック。昂然と顔を上げて馬車に乗り込む軍人の妻ルシイ。その姿を見つめ、カードを置いて立ち上がるハットフィールド。アパッチの襲撃を予感しておびえる御者のバックと、それを励ます保安官のカーリー。一人一人が極端に誇張された演出によって、個性を際だたせていた。7人というのは映画では決して少ない数ではない。この大人数をたったこれだけの時間でキャラとしてしっかり立たせられただけでもの凄いと思える。その後、更にせっかちに乗り込む銀行家のゲートウッド、不適に馬車を待ちかまえるキッド。全員描写はやや誇張があるものの、映画の登場人物として際だった描写がされている。

 この演出!これこそが映画におけるリアリティというものだ。

 そしてこの混在の九人の仲間達がお互いの個性を殺すことなく、逆に互いに際だたせる。根は優しく、かいがいしいダラスを、まるで父親のように見守るブーンと、その立場の違い故に避けようとするルシイ。そのルシイに明らかに色目を使いつつ紳士を気取るハットフィールド、横柄なブーンの行動に文句も言えないピーコック、何かというとすぐに逃げたがるバックを隣で励まし続けつつ、馬車の中を気にし続けるカーリー。狭い馬車の中でありながら自分の問題に没頭し、他の人との接触を拒むゲートウッド、超然としてそれらを見守るキッド…こう書いてみると、人間関係は結構複雑。しかし、彼らが絡み合いなが、それが上手くはまってる。こんな混成隊でありながら、危機を乗り越えていく内に人間関係が変わっていくという、その課程も見事だ。本作はジョン=ウェイン演じるリンゴー=キッドが一応主人公とされているけど、実際は全員が主人公なんだと言う事を知らしめてくれる。主人公格のキャラクターをこれだけたくさん、しかもきちんと描写できるなんて凄すぎる。

 このキャラクター描写も凄いけど、本作の肝であるアクションも凄い。アパッチが襲ってくる下りは縦横無尽にカメラが行き交い、もの凄い迫力だ。何より落馬のシーンは凄い。馬にどうやってあそこまで演技させられたのかと思えるほど(黒澤明監督がとことん馬のアクションにこだわったのは本作の影響が極めて強かったんじゃ無かろうか?)。走ってる馬車馬に飛び乗るシーンは緊張感も凄い。あれって本当に飛び乗ってるんだろ?(そりゃスタントマンだろうが)まさに生の演出法だ。銃弾を全て撃ち尽くし、もう駄目だ!と思える時に絶妙のタイミングで鳴らされる突撃ラッパの音も見事。更にこの緊張感の中で限定された馬車の中で人間ドラマが展開されるという構成も巧い。

 そしてラストシーンのシークェンスはやや長目に取っているが、これまた程良い緊張感があり、ラストは手を叩いて喜べる。

 もう何から何まで「完璧」と叫びだしたいほどの作品。しかもこれだけのドラマがあって、上映時間は僅かに1時間半。大作映画としては極めて短い。

 これを可能たらしめたのは、無駄の省略にあったんじゃないかな?冒頭部分の7人の人間関係だって、余計な演出も、言葉さえも少ない。彼らの身なりと行動、それに周囲の目つきだけで殆どその人となりが分かってしまう演出がなされている。腹に一物持っているキャラが何人か登場するが、それもやはり行動で示されるのみで説明の台詞がほとんど無い。アパッチの駅馬車襲撃シーンだって問答無用。殆ど突然に交戦状態に入ってる。ある意味非常に不親切な映画だと言っても良いくらい。

 オープニングとラストのシークェンスをやや長目に取っているが、そこで整合性を持たせているし、オープニング部分とラスト部分のキャラクターの描写の違いも良い対比になってる。説明不足に感じたキャラもいたにはいたが(ゲートウッドとかハットフィールドなんか)、他の映画だったら単体で一本映画が作れるくらいの物語を内包していることをラストで明かされるのも良し。

 これだけ色々詰め込みながら、飽きさせることなく見せることが出来たのは、何が必要で何が必要でないかをしっかり把握していたからだろう。どこまで余計な部分を省略できるか、しかも省略することによって逆に雄弁に説明させることが出来るのか。映画を作るに当たり、それが最も大切な部分なのかもしれない。こう言うのを映画的なリアルと呼びたい。

 …“省略すること”の素晴らしさを書いてる私がこんな長々したレビューを書いてるのは、実はとても矛盾したことなのかも知れないと、今更ながら感じてしまう(笑)

(評価:★5)

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