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[コメント] めぐりあう時間たち(2002/米)

重い題材ではありますが、様々な社会問題を含んでいるため、時代を知るために幅広くお勧め出来ます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 時を越えた女性達の一日を描いた作品で、1923年、1951年、2001年という三つの時代での女性のあり方を考えさせられる作品。

 この作品は実は劇場で観たのだが、レビューがなかなか書き出しにくく、気が付くと5年近くも放置していた。大体女性の心理を描いた作品に私が何を語るべきか。という事を考えただけで、「書ける訳無いじゃん」となってしまった。

 今になってもやっぱりレビューは難解だが、ここでは心理ついて書くのではなく、時代背景と女性のあり方について考えてみよう。

 先ず1920年代のイギリス。これは実はとんでもなく難しい時代である。19世紀末にイギリスで始まった女性解放運動が一旦終息。しかも第一次世界大戦によって男の力強さというものを見せつけられて、まるで懐古したかのように古い時代価値観に戻っていった時代である。勿論女性達の中には解放運動を推進していた人もいて、そう言う人達が今は何をしているのか。というと、みんな立派な主婦になってたくさんの子供を産んで幸せを感じている。そこに生じる微かな違和感を描いたのがウルフの「ダロウェイ夫人」であるとも言える。女性解放のパワーを残してはいる。だけど、その力の向かう先はどこなのか?ウルフは最もそのことを感じていた作家だったのだろう。ここではキッドマンの、精神不安を訴える演技が実に映えた。見た目も振る舞いも正常なのだが、目だけがあらぬ方向を泳ぎ続け、時折一所を見つめる視点の鋭さで、不安な立場を見事に表している。

 次の1950年代のアメリカ。アメリカはピューリタン的性格を多分に持つ国家で、自らを律することによって社会秩序をもたらす。と言うことを真剣に考え続けた国である。1950年代のいわゆるハリウッド・コードはまさにそのような、「人として正しく生きること」を求めるところから生まれたものである。女性についても、基本的には「自由」が与えられている。だが、その内実は「貞淑であること」が社会的な無言の圧力で迫られていた時代であったとも言える。こんな“あるべき”完璧な妻を演じ続ける役をこれまたムーアが見事にこなしている。キッドマンのように、蓄積された精神不安ではなく、一気に決壊していく姿は、カタルシスと共に、薄ら寒さまで感じてしまう。

 そして新世紀のアメリカ。私たちは現代を生きているので、最早言うまでもないが、基本的な自由は完全に保障されているし、ネットなどで様々な情報が瞬時に手に入る(このレビュー書くに当たっても、かなりの資料はネットから引っ張ってきている)。女性のあり方もジェンダー・フリーで、やり手の女性編集員なんかも当たり前のようにいる時代である。しかしだからといって自由によって解放されたのか?そこが問われているんじゃないかと思う。ヴェテラン中のヴェテランで貫禄たっぷりにストリープが演じている…が、実際この話に限ってはヒステリックで、いわゆる男性的な要素を全て取っ払ってしまったハリスの方が描写的には映えていた。

 ただ、本作品を通して描かれる女性のあり方を見ると、人間を自由にさせるものとは一体何だろう?と言う気にさせてくれる。法的・社会的な抑圧からの解放が自由なのか?そうじゃなくて、人間が人間を規定するのは、結局突き詰めると人間関係になってしまうのではないか。と言う問いが投げかけられているよう。

 それと、本作で感じるのは、女性の解放だけではなく、同性愛的な傾向が強く見られるという事実。ひょっとして、女性のあり方を通すことによって、本作では同性愛者の立場の弱さなども描こうとしていたのかも知れない。私にはなんら結論を出すことは出来ないが、本作は女性問題を前面に出した社会派作品として観ることも出来るし、三人の女性+アルファの演技を堪能することも出来る。

(評価:★4)

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